日本列島は二つの細長い島が結合してできたと考えられていることをご存じだろうか。「山形県 地学のガイド」(コロナ社)によれば、約1.3億年前、列島の西半分はユーラシア大陸のへりに、東半分は現在より南方の海側にあった。東側の島は徐々に北上し、大陸の東縁にある、現在の日本列島西側の陸地と合体。その後、東に引っ張られる力によって大陸の大地に割れ目ができ、所々に湖が出現。引っ張る力はさらに強まり、日本列島は大陸から離れ日本海が生まれた。
それでは、山形県はどちら側にあったのか? 答えは「両方」。本県には日本列島を形づくった東西の島の結合境界があるという。「『棚倉構造線』という横ずれ断層が結合境界。このラインは茨城県から福島県の棚倉を経て猪苗代湖や磐梯山まで追跡できる」。山形大名誉教授で「山形県 地学のガイド」の総括編集者でもある山野井徹(67)はこう話す。
境界は不明
「本県の地層は、かつて海であったときの堆積物などで厚く覆われているため、はっきりした境界は不明だが、南陽市から大井沢の谷を経て月山方向に延びる説と、新潟県の三面(みおもて)から温海方面に延びる説がある」
化石が根拠
列島が二つの島の結合によってできたと考えられる根拠の一例として、山野井は「植物化石の分布」を挙げる。「植物の化石を調べると、現在の列島の東側と西側で植生が大きく違う。このことから、日本列島の基となった二つの島はかつて別々の場所にあり、横ずれ断層に沿って南方にあった島が北上し、合体したと考えるとうまく説明できる」
大陸の東縁で結合した古日本列島は、その後、地殻運動によって東側に引っ張られる。最初は大地が引き伸ばされることで亀裂が入り湖が誕生、約1600万年前には陸地に海水が進入する「海進」が起こる。山形の大地も大部分が海に沈んでいく。山野井によれば、小国では熱帯・亜熱帯の干潟に生息するマングローブの化石も見つかっており、当時はかなり温暖な地域だったとみられるという。
「山形県 地学のガイド」によると、東側に引っ張られていた日本列島は、中新世の後期(800万年前ごろ)からその力が止まり「中立」に変わる。そして、鮮新世(400万年前ごろ)になると、「東への伸長」から「東西圧縮」運動に転じる。
「本県の奥羽山脈や出羽山地は当時の激しい圧縮運動によって盛り上がって高まった。そのころはものすごく大きな地震があったと考えられる」と山野井は言う。そして、現代。東西圧縮はいまなお続き、地震を引き起こす原因となっている。
=敬称略
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