蔵王温泉に向かう途中、人々が通る山形市蔵王上野の赤い大鳥居。神の領域と俗世を分ける鳥居が建つ少し手前の坂道は、実は活断層によってできた地形とされている。「鳥居の手前は急坂だが、くぐり抜けて少し進むと一転してなだらかになる。これは東西圧縮による断層運動で変位したと考えられる」。山形大教授の八木浩司は解説する。
山津波で形成
八木によれば、この周辺は10万年前に蔵王が山体崩壊を起こした際に流れた山津波によって形成された地形。全体として山側から盆地に向けて緩やかに高度を下げているが、鳥居の前後で傾斜が大きく異なる。それは、地下の活断層が斜面を盛り上げるように動いた結果という。
名称は半郷断層。国土地理院が発行する都市圏活断層図には3.5キロほどの短い線しか引かれていないが、八木は「伏在断層」の存在を指摘する。
伏在断層とは活断層のうち、平野下に存在しているため新しい地層に厚く覆われ、地表には断層変位地形が直接現れないものを指す。「活断層とは何か」(東京大学出版会)によれば、伏在断層が実際に活動した例として、1948(昭和23)年に発生した福井地震がある。この時は福井平野のかなりの集落で倒壊率が100%に達した。
半郷断層の場合、山形盆地の東縁を北にたどり、いったん地表からその痕跡を消すが、八木は「地下深くで山形市街地へとつながっている」と話す。「1960年代に山形市の地下構造を調べた論文によると、国道13号山形大橋近くにある盃山周辺の地下には大きな断層があることが分かっている。半郷断層から盃山に至るまでの区間は、かつて起きた地滑りによって断層地形が覆われてしまった」
半郷断層は地層から断層の痕跡が発見されていないことから、活断層との判断に疑問を呈する研究者もいる。山形大名誉教授の山野井徹は「かつて半郷断層とされている場所で道路工事が行われた際、地層が現れたが、変位は想定される走向と矛盾し45度も異なっていた。地形だけで判断した結果、本当の活断層のように独り歩きした例」と話す。しかし、八木は「半郷周辺の地形全体を俯瞰(ふかん)すれば明らかに変位が認められ、活断層と断定できる」と反論する。
断層運動によって変位したとされる大鳥居周辺。山形盆地東縁では伏在断層の可能性も指摘されている=山形市蔵王上野
評価から外す
上山断層と半郷断層は800メートルほどしか離れておらず、走向もほぼ同一だが、政府の地震調査研究推進本部は、半郷断層を山形盆地断層帯の評価対象から外している。その理由を、半郷断層は東側が高い「東上がり」で、西側が高い盆地西縁の断層帯とは変位の向きが異なるためとしている。
八木によれば、東縁の断層は、明瞭な活断層地形がうかがえないため、西縁に比べ調査が充実しているとは言い難い。しかし、人口が多い山形市東部の真下を通っている可能性もあり、重要度は高い。地下構造を把握して伏在断層の実像に迫ることが、地震防災を推進する上で欠かせない。=敬称略・第2部おわり
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