死者、行方不明者1万8千人超。未曽有の大惨事となった昨年3月11日の東日本大震災の後、新庄盆地の西部で新たな活断層が確認された。最上三十三観音巡礼の最後の札所として知られる鮭川村の庭月観音から500メートルほど西に進むと、右手に土色の壁が見えてくる。「観音寺の活断層露頭」だ。
この露頭では以前から、大地震の痕跡と考えられる地層のずれが知られていた。原子力安全基盤機構主任研究員の松浦旅人は2003年の論文で、地層の境界面を利用してすべった「Flexural slip(層面すべり)断層」と発表している。
平行して隣に
新たな断層は、既存の断層のすぐ隣で見つかった。発見したのは山形中央高教諭の長沢一雄。長沢は10年発行の「山形県 地学のガイド」(コロナ社)で編集幹事を務めており、既知の断層について「新庄盆地断層帯の一つ鮭川断層から分岐した小逆断層と考えられる」と紹介した。
昨年の大震災で山形県は大きな被害がなかったが、県内には庄内、最上、村山、置賜と全域に、マグニチュード(M)7クラスの地震発生が想定される要注意の断層帯がある。「東日本大震災をきっかけに内陸直下型地震への備えと研究の蓄積の重要性がより高まった。だから、観音寺の露頭をしっかり調べなおそうと考えた」。長沢は震災後の春、再び現場に向かう。その時、以前は見えなかった地層のずれが現れているのを発見した。
「河川周辺の環境は、大雨や洪水で岸壁が削り取られたり、人工的な掘削などによって、めまぐるしく変わるから」と長沢。不断の努力が実を結んだ。
二つの断層はほぼ平行に位置。いずれも東西圧縮による褶曲(しゅうきょく)で傾いた地層と同じように東に傾斜している。長沢によれば、以前から確認されていた断層(A断層)は東側が西側にのし上がる逆断層。この断層は地形面の年代などから、活動時期は1万~2万年前と考えられるという。
東日本大震災後、新たにB断層が確認された観音寺の露頭(長沢一雄氏提供)
古い活動時期
一方、新たに確認された断層(B断層)は、東側が下がった正断層(大地が引っ張られることで片側がずり落ちるタイプ)に見える。しかし、新庄盆地周辺は基本的に東西圧縮の場にあることなどから、長沢は、この断層も圧縮されて生じた逆断層で、変位をもたらした大地震の後に浸食されたため、現在の形状が出来上がったとみる。B断層は、より年代の古い下部層だけを変位させていることから、活動時期はA断層より古く、2万~3万年前と推定した。
長沢によれば、新たな断層の発見は、少なくとも過去2回、大地震が発生したことを示す点で意義が大きい。政府の地震調査研究推進本部の長期評価では新庄盆地断層帯西部の活動周期は4700年程度としているが、「主断層である鮭川断層の活動が加われば、大地震の発生数はさらに増える可能性がある。活動周期はもっと短いかもしれない」と長沢は指摘する。=敬称略
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