やまがた橋物語赤川編第1部[1]◆袖浦橋(酒田)![]()
今回の「やまがた橋物語」シリーズは、新潟県境の以東岳付近を水源とし、鶴岡市から三川町を流れ、酒田市南部の日本海に注ぐ全長約七十キロの「赤川」がテーマ。大鳥川と呼ばれる上流部と、月山などを水源とする梵字川が合流して赤川と名を変える中・下流部に架かる計二十四橋を二部構成で紹介する。 日本海まで七百メートル弱。赤川が海に注ぐ酒田市の浜中地区に「袖浦橋」(全長百七十七メートル、幅十二メートル)が架かる。浜中地区はかつて「袖浦村」に区分され、一九五四(昭和二十九)年に酒田市へ編入されたが、当時の名残を今にとどめている。 現在は日本海に注いでいる赤川だが、かつては最上川に合流した。洪水時、最上川と赤川などの合流水が袖浦村に押し寄せ、甚大な被害を及ぼした。そこで、国は一九二一(大正十)年から赤川の流路を変える大規模な工事をスタート。二七年に日本海に注ぐ赤川新川が完成し、通水を始めた。 浜中地区の歴史に詳しい地元の高山勘之助さん(84)は「赤川新川が完成した後、河口付近に木材を使った橋が架けられた。しかし、豪雨で赤川がはんらんすると、その橋も流された。治水のために土のうを運んだり、木橋の復旧工事に当たった地域住民が命を落とすこともしばしばだった」と当時を振り返る。 六二年に鋼材を使った旧袖浦橋(全長百四十一メートル、幅五メートル)が架けられた。その老朽化に伴い、八三年に架け替え工事が始まり、八八年に現在の袖浦橋が完成。酒田市と鶴岡市を結ぶ国道112号の一部として、住民の生活を支えている。 橋のたもとでカフェレストランを営む佐藤隆司さん(50)=酒田市黒森=は「十年ほど前から、赤川河口はサクラマス釣りのスポットになっており、春先には多くの太公望でにぎわう。また、晴れた日は橋上から日本海に沈むきれいな夕日が見えるので、最近はアマチュアカメラマンの姿も増えている」と話した。 2008/07/14掲載
![]() |
文字サイズ変更
山形新聞からお知らせ
|