やまがた橋物語

京田川編[6]

◆落合橋(庄内・三川)

落合橋(庄内・三川)の写真 わずかな距離に本落合橋(手前)と落合橋(後方)が架かる。2本とも周辺集落の住民の暮らしを支えている

 庄内町落合と三川町押切新田を結ぶ「落合橋」は主要地方道余目加茂線に架かる。長さ54メートル、幅13.6メートル。2代目に当たり、1977(昭和52)年に開通した。初代の橋ができたのは27年。当時、県内では珍しい鉄筋コンクリート製の永久橋だった。

 地元住民によると、27年以前から京田川をまたぐ木造橋が通っていた。国道7号、47号がまだ形もない時代で、酒田や余目と、鶴岡や三川を結ぶ要の道だった。

 落合集落に長年住む農業遠田長治さん(82)によれば、1881(明治14)年、明治天皇が庄内地方を訪れ、この木造橋で京田川を渡った。大正時代にはサーカス団の象が川を渡ったこともあったという。遠田さんは「人の往来が多い道ゆえ、早い時期に(初代の)永久橋が架かった」と語る。

 現在の落合橋から70メートル上流に小さな橋がある。わずかな距離に橋が2本架かるのには理由がある。

 現在の橋の着工が持ち上がった際、落合、押切新田両集落の住民から旧橋を残してほしいという要望が上がった。落合の住民は押切新田に多くの耕作地を持ち、押切新田の住民は落合に田んぼを所有。新しい橋は県道の改修に伴い70メートル下流に架設されることが決まっており、迂回(うかい)を余儀なくされる。生活道路として旧橋を残してほしい-と住民は主張した。

 県は住民の声に応じ、旧橋を残した。初代永久橋の幅を狭めた橋は80年に完成し、本落合橋と名付けられた。近くの農業斎藤禎さん(57)は「二つの橋がなかったら住民は不便を強いられたはず」と2本の橋の意味を話した。

2010/01/19掲載

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