やまがた橋物語馬見ケ崎川編[4]◆見崎橋(山形)
長町地区を東西につなぐ見崎橋。昭和40年代の完成で古風な感じが漂う
馬見ケ崎川は度々はんらんした。見崎橋(一四二メートル)が架かる山形市の長町地区は、一六二三(元和九)年の水害で城下が水浸しになったことから、山形藩主の鳥井忠政が盃山を開削し、流れを変える工事が行われたことで馬見ケ崎川の流域になった。 見崎橋はJR羽前千歳駅の北西に位置する。コンクリート製で、一九七二(昭和四十七)年に完成した。橋の名前は旧見崎村から付けられたが、今は見崎の地名は橋の北西約一・五キロの所に残り、橋は長町地区のほぼ中央にある。 「昔は今のような立派な一本の橋ではなかった」と橋の西側、今塚地区の丹野勘三郎さん(80)が話す。「大水のたびに流れが変わるので橋を架ける場所も動いた。三本の橋を渡して連結するような形にしたこともある」という。 橋付近の河原は、広い砂地で、かつては水浴びや魚捕りに格好の場所だった。「橋の西側の大郷地区や今塚地区の子どもたちも川遊びに来たが場所の取り合いが激しかった」と橋の東側に住む設楽幹男さん(70)が語る。小競り合いが高じて小石を投げ合う石合戦に発展することもあったという。 「戦前の木橋は橋げたに土を敷いた土橋だった」と橋の西側に住む田苗久吉さん(79)が話す。その橋を渡っていた馬車が重すぎて橋が落ちたことがあった。「米を積んでいたのかな、見るからに重そうな馬車が橋の真ん中あたりに差し掛かったらミシミシと音がして、次の瞬間、橋が馬車と共に川に落ちてすごい水しぶきが上がった」と当時を振り返った。 2009/01/30掲載
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