やまがた橋物語最上川第3部[1]◆村山橋(天童)![]()
全長二百二十九キロの最上川に架かる約七十の橋を、河口の出羽大橋から上流に向けて訪ね、紹介する「やまがた橋物語」シリーズ。第一部と第二部で中流の谷地橋まで計二十六橋の歴史やエピソードをたどった。今回の第三部は、天童、寒河江両市を結ぶ村山橋から朝日町の五百川橋まで、十五の橋の物語をつづる。 天童市の蔵増地区と寒河江市の日田地区を村山橋が結ぶ。全長五三二・七メートル、幅員十二メートル。県管理の橋の中で、出羽大橋、庄内大橋に次ぐ長大橋だ。 およそ二十億円を投じ約七年がかりで建設、一九七九(昭和五十四)年に完成した。「新寒河江街道」と呼ばれる主要地方道天童大江線の一部で、天童市と西村山地方、さらには仙台と庄内、太平洋と日本海をつなぐ人的、経済的にも重要な役割を担っている。 地元の住民にとっては、現在の橋もさることながら、旧村山橋への思い入れも強い。二九(昭和四)年に完成した旧橋は、全長約四百四十メートルの鉄橋で、その規模は東北一を誇った。当時の山形新聞には「東北一」「モダン」の見出しが躍り、しゅん工式には近郊から見物客約一万人が詰め掛けたと、歓喜の様子を伝えている。 蔵増地区に住む天童市歴史資料調査研究専門員の渡辺政さん(67)は「古い橋の下ではよく川遊びや芋煮会、昆虫採り、写生会、写真撮影会などをしたものだ。橋は地域の自慢だった」と語る。 そのシンボルとしての役目を受け継いだのが現在の橋。川遊びといったかつての光景こそないものの、橋の両側に設けられたサイクリングロードを兼ねた歩道では、ジョギングや散歩を楽しむ人、夏場には街灯の下の昆虫を捕りに来る親子の姿も見られる。 2007/05/14掲載
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