【没後20年・生誕90年】作家・佐藤賢一(上) 「海坂藩という発明」
2017年02月24日
時代小説とは一種のファンタジーである。歴史小説のように年月日もない。なんとなく江戸時代なだけで、元禄なのか天保なのかも明示されない。泰平の世が200年も続いた史実をよいことに、それを模した仮想空間で、一定の約束事を守りながら書き継がれてきたものが、時代小説なのである。が、その約束事を破り、新しい時代小説を作り上げた作家もいる。他でもない、藤沢周平さんだ。海坂藩を創造したからだ。時代小説では、場所もなんとなく江戸である。捕物にせよ、人情物にせよ、作中人物は都市生活を送る。野山も田畑も出てこない。それを藤沢周平さんは変えた。あるべき姿に正したというべきかもしれないが、それが「北国の小藩」の「海坂藩」だ。今でこそ普通に読んでしまうが、それは画期的な出来事だったのだ。
始まりは地方出身者の矜持(きょうじ)だったかもしれない。都会にだけ人生があるのではない。その喜びや悲しみは地方にもある。かかる思いが藤沢さんに、海坂藩を書かせたのではないか。1973(昭和48)年の直木賞受賞作「暗殺の年輪」で、すでに舞台が海坂藩になっているが、そこには力みのようなものも感じられる。東京生活を送るなかで、田舎者と馬鹿(ばか)にされた口惜しさなども、あるいは微妙に作用したのかもしれない。
しかしというか、それゆえにというか、生意気の誹(そし)りを覚悟でいうならば、ここで海坂藩はさほど効いているわけではない。舞台が江戸でも成立する、裏を返せば海坂藩の臭いが鼻につかないので、保守的な審査員の神経を逆撫(な)でせず、無事受賞にいたったともいえる。海坂藩は取り潰(つぶ)しの憂き目に遭うことなく、かくて迎えた転機が、78年に始まる「用心棒日月抄」シリーズだったと私は思う。
実は「海坂藩」とは明記されず、「北国の小藩」とあるのみだが、いずれにせよ舞台は地方だ。いや、この作品の舞台は江戸でもある。主人公の青江又八郎は、わけあって江戸に出る。2作目以降、わけがなくなっても、やはり江戸に出る。藩士には参勤交代があるからだ。地方の武士は、都会と田舎をいったりきたりだったのだ。この感覚が今なお盆暮れには帰省する日本人の心情に、ぴたりと重なる。共感を誘われた読者は、避けがたく問いかけられる。おまえは、どっちなんだと。おまえの心は都会と田舎のどっちにあるんだと。
揺れる思いに止(とど)めを刺したのが、86年の「蟬しぐれ」だ。この大傑作で皆が思い知らされた。心洗われる日本人の原風景は、地方にこそあるのだと。なるほど、東京生活を送る者も大半は地方で生まれ、地方で成長する。多くの日本人は地方にしか癒やされない。
そもそも、なぜ時代小説が生まれたかといえば、明治以降の急激な西洋化、近代化に、日本人の心が悲鳴を上げたからだ。古き良き日本という幻想、つまりは江戸に癒やされたいという欲求が、時代小説の隆盛を招いた。が、まだ癒やされない心がある。西洋化、近代化と並行する都市生活の蔓延にも、日本人の心はカラカラに乾いた。そこに潤いを与えてくれる文学--藤沢さんは海坂藩という発明で、時代小説を究極の形に進化させたのだ。
(作家、鶴岡市)
▽さとう・けんいち氏は1968年鶴岡市生まれ。東北大大学院文学研究科博士課程単位取得退学。93年に「ジャガーになった男」で第6回小説すばる新人賞、99年に「王妃の離婚」で第121回直木賞、2014年に「小説フランス革命」で第68回毎日出版文化賞特別賞を受賞。著書に「女信長」「新徴組」「かの名はポンパドール」「ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ」「ハンニバル戦争」など。
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