【没後20年・生誕90年】作家・佐藤賢一(下) 「悔やまれる歴史小説」
2017年02月25日
歴史小説とは、史実をベースにした小説のことだ。時代小説と違って年月日があり、場所も明示されている。その舞台は必ずしも江戸ではない。地方を描き、方言を使う作品も、歴史小説なら割とある。例えば時代を幕末にすると、薩摩だの、長州だの、土佐だのを出さずにはいられない。「~でごわす」だの、「~じゃけえ」だの、「~ぜよ」だのも、平気で出てくる。「~だず」や「~だの」が出てきても、おかしくない。とはいえ、歴史学でも、歴史読み物でもなく、歴史小説なのだから、やはりフィクションだ。出てくる史実のあれやこれやも、リアリティーを獲得するための小道具でしかないといえば、小道具でしかない。虚実という言葉を使うなら、本質は実ではなく虚の部分にある。そこは時代小説と何ら変わるものでないが、なお線引きができるとすれば、歴史観の有無ではないかと私は考えている。歴史小説の大家である司馬遼太郎が、「司馬史観」で知られている通りだ。
さて、藤沢周平さんである。誰もが認める時代小説の大家だが、歴史小説の大家とはあまりいわれない。歴史小説を書いていないわけではない。葛飾北斎を描いたデビュー作の「溟(くら)い海」から歴史小説だし、明智光秀の本能寺の変を描いた「逆軍の旗」、幕末の米沢藩士雲井龍雄を取り上げた「雲奔(はし)る」、庄内藩の御家騒動を扱った「長門守の陰謀」、同じく庄内藩の三方所替え騒動を活写した「義民が駆ける」、清河八郎の幕末を描く「回天の門」、俳人小林一茶を評伝風に書いた異色作、映画化で話題の「一茶」などなど、まさに秀作揃(ぞろ)いだ。
本県の歴史に題を求めたものが多く、歴史小説にも藤沢さんらしい地方出身者の矜持(きょうじ)が窺(うかが)える。地方にも面白い歴史はあるんだと、声が聞こえてきそうだが、それ以上の歴史観は残念ながら打ち出されていない。お人柄もあろうが、どの作品にも大上段に論理を掲げて、自前の歴史観を展開する風はないのだ。
いや、本来そんな必要はない。史実に則して、淡々と物語を進めながら、ただそれだけで思わずハッとさせられる。知っていたはずの歴史が、全く別な顔をみせている。そうした歴史小説こそ理想だが、そのひとつを私は藤沢さんの「密謀」に読めると考えている。
関ケ原の戦いを描いた作品だが、これ、はじめは天下分け目の戦いでも、徳川と豊臣の戦いですらなかった。結果的にそうなっただけで、始まりは徳川と上杉の戦いだったのだ。ところが、上杉家の直江兼続と豊臣家の石田三成が親友だった。直江が待つ会津に家康が進軍したところ、その背後を大阪から三成が突き、慌てて家康が西に引き返したので、関ケ原で戦いになったのだ。ここで今度は直江が家康の背後を突けば、関ケ原の戦いにならなかったかもしれず……。徳川が負ければ、江戸幕府も開かれず……。いずれにせよ、東北は天下の蚊帳の外だったわけではないと、まさに目から鱗(うろこ)が落ちる思いがした。
藤沢さんの遺作になった「漆の実のみのる国」も、同じ上杉の歴史から鷹山公を取り上げた、時代小説でなく歴史小説である。ご健康を損なわれなければ、さらに歴史小説を書き連ねたのではないか。あと10年続けられれば、秀逸な歴史観で歴史小説の大家とも呼ばれていたのではないか。そう思うにつけても、69歳での早世が改めて悔やまれる。
(作家、鶴岡市)
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