【没後20年・生誕90年】山形大副学長・阿部宏慈(上) 「藤沢周平と映画」
2017年03月23日
藤沢周平氏と映画の結びつきは古く少年時代の記憶にまでさかのぼるもののようだ。たとえば稲垣浩監督「魔像」。「隠し剣秋風抄」のあとがきで、藤沢は、「子供のころに冬の夜道を三キロも歩いて」、この映画を「村の小学校に見に行った」時の感動を語っている。「私は兄のうしろから雪の道を歩きながら、見て来た映画の興奮がさめやらず、寒さと睡(ねむ)気を忘れていた。その時も私は、多分映像というものによって別の新しい世界に目を開かれたのであろう」
清廉な人柄ゆえに、地位を利用して私腹を肥やす上役や同輩に疎まれ、美しい町娘を嫁にしたばかりに妬(ねた)みを買った主人公が、己をなぶりものにした朋輩(ほうばい)たちを次々と血祭りに上げるこの復讐(ふくしゅう)劇、伊藤大輔が大河内伝次郎主演で映画化したあと、戦後も繰り返し映画化されたこの凄絶(せいぜつ)な一編を子供が小学校で見たというのはすごい。雪の夜道を、孤独なお尋ね者の復讐譚(たん)に心を寄せながら帰る小菅留治少年の姿が、海坂藩の街道裏を落ちのびる用心棒青江又八郎の姿などにも重なるように思うと言えばいささか読み込み過ぎだろうか。
映画でいえば、藤沢時代劇は、戦後の東映時代劇などよりも、古い戦前戦中の時代劇を連想させる。例えば山中貞雄監督の「人情紙風船」「河内山宗俊」などだ。裏長屋の浪人者の首くくりで幕をあける髪結新三の人情劇、幼馴染(おさななじみ)の花魁(おいらん)と心中をはかった無頼の弟を叱り、自ら身売りの決意をする原節子演じるお浪の悲劇など、活劇的な切った張ったばかりの時代劇とは一味違う。
物語の舞台や設定というだけでない。藤沢周平作品の隠れた魅力の一つとも言えるその映像的な描写にもそれは結びつく。もちろん果たし合いや暗夜の死闘といった動的な描写も素晴らしい。しかし、それ以上に、さりげない細部への視線が読者の想像力を膨らませる。
それは「夜消える」のような庶民のドラマでも光って見える。酒に溺れた雪駄(せった)職人が、結婚する娘(おきみ)の将来のためにひそかに姿を消すという設定は藤沢作品お馴染みの下町人情哀話だが、その父親の失踪はもっぱら母親おのぶの視線を通して描かれる。
「『だって、おとっつぁんがいるうちは、お嫁になんか行けやしない』
おきみは泣きじゃくった。おのぶは、ちょっと、おやめと言って耳を澄まし顔になった。土間に、かすかな物音を聞いたように思ったのである。
おのぶが立って障子をあけた。土間には誰もいなかった。そしてひらかれたままの戸の外は闇だった。だがおのぶは、台所の上がり口に一升徳利(とっくり)が置いてあるのを見つけた」
二人の女のやりとりを「ちょっと、おやめ」という台詞(せりふ)から母親の顔につなぎ、障子を開ける仕草(しぐさ)から、空っぽの土間と外の闇を写す見た目カットに連続する。そして、おのぶの顔を入れたのちに、台所の上がり口に置き去りにされた一升徳利を写す。この徳利の描き方は、なんとも映画的だ。
映画で培われた映像感覚もまた藤沢時代劇の一つの源泉でもあるのだろう。
(山形市)
▽あべ・こうじ氏は1955年仙台市生まれ。山形大副学長、山形国際ドキュメンタリー映画祭理事。東北大大学院博士後期課程中退。専門はフランス文学。著書に「プルースト 距離の詩学」、訳書にジャック・デリダ「絵画における真理」(共訳)、ミシェル・セール「カルパッチョ 美学的探求」、論文に「ドキュメンタリー映画における〈アクチュアル〉の問題に関する一試論」など。記憶と表象の問題を文学と映像の両面から考え続けている。
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