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【没後20年・生誕90年】山形大副学長・阿部宏慈(下) 「藤沢周平と映画」

2017年03月25日
 藤沢周平氏自身は自らの作品の映画化についてどう考えていたのか。劇場版の映画製作は2002年の「たそがれ清兵衛」が最初で、テレビドラマが先行した。テレビ的な映像一般についての藤沢氏の評価は必ずしも高くない。その中で、実際に映像化された自作をテレビで見たことで得た結論は、まずもって「テレビと原作はまったく別物」である。小説には「空間的、時間的そのほかの小説としての微細な書きこみ」がある。その上であえて「原作につきすぎてもいなければ、離れすぎてもいない、そういう位置で、自由に原作を料理し、まさに映像でしか表現出来ないものを描き出しているような」作品、「原作を、原作が意図したところよりも、さらに深いところまで読みとって、そこから新たな自分の生命を得て翔(と)び立つ」映像こそがすぐれた作品であるという(「映像と原作」)。

 小説は、いつも一定の想像の範囲を残す。そこで描かれる事物は、そのいわば空間的で時間的な延長線上にある外側を読者の想像に委ねる。他方、時代小説には時代小説の約束事がある。例えば「隠し剣孤影抄」に収められた「邪剣竜尾返し」は山中の寺でのお籠(こも)りで人妻と深い仲になる若い剣士の話であるが、その女性は「鉄漿(かね)をつけた武家方の女、つまり人妻である」とされる。江戸期の物語であるからには、人妻はしばしば眉を剃(そ)り、歯を染めていたろう。

 「用心棒日月抄」でも青江又八郎の妻由亀は眉を剃った跡が青々としていると描写される。映画では回避されがちな既婚女性の風俗が、小説では時にさりげなく示される。とすれば、「隠し剣鬼の爪」の狭間(はざま)の妻を演じた高島礼子などは、できれば眉を剃りお歯黒を染めていた方が、はるかにエロチックな風情も出たろうにと思うのは私ぐらいだろうか。

 それとは逆なのが言葉かもしれない。藤沢の時代小説では時に登場人物たちが海坂なら海坂の言葉、江戸なら江戸の言葉で話していることが述べられる。「蟬しぐれ」の与之助は、江戸詰になった当初、いかに「国言葉」で侮られたかを述べるが、それを述べる言葉自体は方言ではない。藤沢作品では、「春秋山伏記」のような作品をのぞいて、山田洋次の映画のように、登場人物が庄内弁で話しているということはない。確かに宮沢りえや松たか子が「でがんす」と言うのはなかなかチャーミングである。

 海坂藩という設定の魅力は、とりあえず特定はしないが、どこか非常に個性的な地方らしさを持つ場所であることだろう。藤沢氏自身が「北国」のある藩という設定としつつも、頭の中では荘内藩のことを思っているのだという。「三の丸広場」と書く時には、昔の荘内藩鶴ケ岡城三ノ丸あたりを思い浮かべているというのだ。そうなれば、なおのことそういう故郷の匂いが、彼の時代小説全体を覆うのは当然の成り行きで、それがまた彼の作品の魅力となっているのだ。とすれば、方言もまた山形ロケでしか出ない風合い、映画全体を包む大地の匂いの一部と言える。
(山形市)
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