【没後20年・生誕90年】作家・佐伯一麦(下) 「海坂藩の食卓」を巡って
2017年04月29日
〈棒ダラの煮物、むきそば、はえぬきを炊いた米、民田ナスの漬物、ミョウガの甘酢漬け、いかとわかめの酢みそ和(あ)え、青菜のおひたし〉2006年に仙台文学館で開かれた「藤沢周平の世界展」を見た折に、館内にあった杜の小径というレストランでは、それにちなんだ「海坂藩の食卓」というメニューを出していて、味わうことができた。
杜の小径の店長で、2年前の6月に亡くなった三山タエ子さんは、企画展示に合わせた定食メニューを考案して、文学館を訪れるもう一つの楽しみを提供してくださったものだった。夏目漱石、石川啄木、宮沢賢治、林芙美子、松本清張……など40品目にのぼったメニューの中でも、「最も好評を博したのが『海坂藩の食卓』でした」と生前の三山さんから話を伺ったことがあった。ちなみに、仙台文学館の企画展示で観覧者数が1万人を超えることは滅多(めった)にないとのことだが、このときは2カ月弱の開催で1万2186を数え、熱心な藤沢文学ファンの多いことが窺(うかが)える。
藤沢周平氏のふるさと庄内の家庭料理である「海坂藩の食卓」を味わいながら、同じ食べ物が出てくる藤沢作品のあれこれを思い出すのは愉(たの)しいひとときだった。3日間かけて骨まで食べられる棒ダラの煮物は、映画の「たそがれ清兵衛」にストーリーが取り込まれている「祝(ほ)い人(と)助八」に、〈棒鱈(だら)と呼ぶ鱈の干物〉と出てくるのを思い出させる。民田茄子(なす)は藤沢氏が生まれた旧黄金村の隣の旧民田村の名産で、初期の短編「ただ一撃」に、主人公の老剣士範兵衛が歯のない口に入れて食べ、〈鶴ケ岡の城下から三十丁ほど離れたところに、民田という村がある。ここで栽培する茄子は小ぶりで、味がいい〉と説明される。
ミョウガの甘酢漬けとくれば、後記の代表作の一つ「三屋清左衛門残日録」の重要な舞台である小料理屋「涌井」で、清左衛門と古くからの友人で町奉行の佐伯熊太が連れ立って酒を飲んで肴(さかな)をつまみ、ミョウガの梅酢漬けを口にした熊太が、〈赤蕪(かぶ)もうまいが、この茗荷(みょうが)もうまいな〉と漬け物を噛(か)むところが浮かび、気持ちのよい友達づきあいにこちらも一緒しているような心地となる。味付けを褒めると、三山店長から、得意の一品、との笑みが返ってきたことも忘れられない。
じつは、その展示期間中に、シンガポール華人作家の丁雲氏と対談する機会が仙台文学館であり、対談後の食事の席で、もう一度海坂藩の食卓を口にした(このときには赤蕪もついた)。歯が欠けているので肉は苦手で、という丁雲氏は、柔らかく煮上がった棒ダラが気に召したらしく、労働で鍛えられたらしい武骨な手に挟まれた箸が満足そうに何度も口に運ばれた。そして、素朴ながら味わい深い品々から思いを馳(は)せたのか、自分が小さかった頃はサツマイモの茎の料理がご馳走(ちそう)だった、と懐かしんだ。もし翻訳があれば、丁雲氏も藤沢文学のファンとなったにちがいない。(仙台市)
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