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【没後20年・生誕90年】県立米沢女子短期大副学長・馬場重行(下) 文章力を生かす巧みな構成

2017年08月30日
 川上未映子氏との対談集「みみずくは黄昏(たそがれ)に飛びたつ」で、「何よりも文章が大事です。僕らは文章を通して世界を見るんだから」と文章の意義を強く説いた村上春樹氏が、「僕は一時期、藤沢周平さんの小説にはまりました。ずいぶん読みましたよ。面白いですよね。なにしろ文章もうまいし、戦後の日本の小説家の中では、安岡章太郎さんと並んで、いちばん文章のうまい人じゃないかな」(「村上さんのところ」)と藤沢周平氏の文章を絶賛している。

 これまでも藤沢文学の抜群の文章力を称賛する声は多くあり、「明治大正昭和三代の時代小説を通じて、並ぶ者のない文章の名手は藤沢周平でした」という丸谷才一氏の「弔辞」などはその代表だろう。藤沢氏自身「(文章は)非常に底深いものだと思います。(略)文章というのは、なるべく普通の、気取らない文章の方が、いま言ったような深いものを表現できるように思います。(略)だから、つとめて分かりやすい文章で書こうと思ってるんです」(「インタビュー・なぜ時代小説を書くのか」)と述べており、文章に対して細心の注意を払って執筆していたことが伺える。

 「橋ものがたり」の巻頭にある「約束」の場合を見てみよう。幼い恋心を通わせながらも生活のため離れ離れになる幸助とお蝶(ちょう)の2人が、再会を約束した5年の間に「大人の苦労」を味わいつつ最後に結ばれるという物語。この作品は、生活苦の原因が主人公たちの親の病にあることを冒頭と末尾で示す構図となっている。病、老、貧、欲といった人生の難問を抱えながら、それでも与えられた運命に必死に向き合い愛を育もうと努める主人公たちの姿を、簡潔ながら的確に描く文章力をさらに生かしているのはこうした巧みな結構であり、これもまた、藤沢文学の文章の魅力を増すうえで忘れてはならない特長の一つであろう。幸助とお蝶、それぞれの5年間の出来事や心中を交互に描く構成もそのような特長をさらに発揮する見事な語りとなっている。

 そして作品末尾、結婚を諦めようとしたお蝶の家に来た幸助の、「二人はもう離れちゃいけないんだ」という一言を受けてお蝶が泣く場面。「忍び泣く声」が「ふり絞るような号泣」に変わり、やがて「悲痛な泣き声」が「泣く声」へと転じていく。数行の中にこれだけの泣き声を重ねられるのは、別離の涙や過去を告白した時の涙など、作品に横溢(おういつ)する哀(かな)しい涙がやっと喜びへと昇華する感動を、くだくだしい説明を略し、声の変化だけを重ねてみせることで読者の想像力を刺激する文章の力があってこそである。

 ほどよく省筆を効かせながら、練り込まれた構成によって物語の深度を増していく文章。含羞(がんしゅう)の作家藤沢周平には似つかわしくない言い方をあえて用いれば、〈周平マジック〉とでも称すべき文章技法。実人生での地獄の体験が命の尊さを骨身に知らせ、その重みを物語にのせるべく彫琢(ちょうたく)された文章。ここに藤沢文学の秘密を解く鍵(=秘鑰(ひやく))の一つがあった。(米沢市)
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