【没後20年・生誕90年】京都大大学院教授・中村唯史(下) 敗者に万感の思い寄せ
2017年09月27日
藤沢周平氏は、時代小説のなかでも市井ものの名手とされているが、史実に根ざした歴史小説も少なからず書いている。その題材や主人公の選択には、はっきりとした傾向があったように思う。藤沢氏は中世を「見かけの秩序は崩壊し、土一揆とか倭寇(わこう)とか下克上とかの現象が横行する」「混沌(こんとん)の世界のイメージ」で捉えていた(「混沌の世界」)。新たな秩序が生まれるための「異様な熱気にあふれている時代」、混沌のなかで人間の精神が躍動した時代――。だが氏はその時代を描いていない。
藤沢氏の歴史小説の舞台は、新たな秩序の確立過程にあった安土桃山時代、あるいは確立された秩序が人々にのしかかっていた江戸時代である。主人公の多くは、信長を討った後、孤立していく明智光秀(「逆軍の旗」)、上意によって理不尽に滅ぼされる片岡兄弟(「上意改まる」)、江戸の俳壇に地歩を築けずに帰郷した小林一茶(「一茶」)、幕末維新期に薩摩の専制を批判し、処刑された米沢藩士雲井龍雄(「雲奔(はし)る」)など、敗北ないし挫折する側の人間である。語りはおおむね主人公に寄り添い、彼らに即して展開している。敗れ、ときには滅ぶ主人公に同一化することはないが、深い共感を寄せている。
だが藤沢氏はその一方で、随筆では「武力倒幕は、時局を貫く一本の太い筋金だったのだが……雲井龍雄には、そこに至るまでの歴史の重い足どりが見えていなかったというべきだろう」、「龍雄の思想、活動は時代をリードするものではなかった」(「遅れて来た志士雲井龍雄」)等、しばしば冷厳な評価を下している。戦争中の経験も踏まえて「私は熱狂がきらいである」(「未塾児」)と言う氏は、重層的な視点の持ち主だった。敗者が敗れざるをえなかった歴史的な不可避性を見据えつつ、彼らに万感の思いを寄せたのである。
このような重層的な視点は東北地方、山形県、庄内そして故郷にも向けられている。故郷の商業化という状況を前に「昔の郷里は美しかったといった種類の気持ちを押さえ難い」と懐旧的な辞を書いた直後に「郷里の自然について、物言う資格があるのは、郷里の人間だけである」と書くのが藤沢氏である(「帰郷して」)。必ずしも好んで農村から出て行ったのではなく、次男、三男がやむなくそうせざるをえなかった戦後の現実を指摘するなど(「都市と農村」)、氏はやみがたい郷愁を抱きつつも現実を見据えていた。地方や農村を理想視する風潮とは一線を画していた。
藤沢氏の歴史小説の白眉(はくび)は、何といっても「白き瓶」だろう。この長編で氏は資料を潤沢に引用しつつ、歌人長塚節や伊藤左千夫の軌跡を、自らの評価を抑制して、彼らが生きたそのままに辿(たど)ろうとした。
在りしことをあるがままに肯定するかのようなこの境地を諦観(ていかん)と見るか、どう評価するかは人によって分かれるところだろうか。いずれにせよ、晩年の藤沢氏の境地は澄明である。その一例――「私も妻も年老い、死者も生者も秋の微光に包まれている」(「半生の記」)。(滋賀県大津市)
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