【没後20年・生誕90年】「父ちゃん」と慕い交流 高山邦雄「“留治さん”と父正雄」
2017年10月28日
高山邦雄さんが自宅で撮影した、藤沢周平さん(左)と父正雄さん(高山さん提供)
わが家ではいつも「留治さん」という名前が会話の中に出てくるものでした。その記憶は、わたしが小学校に入学したころまでさかのぼります。「留治さん」とは、後に藤沢周平となる、小菅留治さんのことです。
留治さんは、湯田川中学校に教員として勤務しましたが、2年後に学校の集団検診で結核が見つかり、鶴岡の中目(なかのめ)医院に入院していました。1951(昭和26)年のことです。わたしの長姉はそのころ、高校に通学していました。わたしの父正雄は蔵書から数冊を選んで、その姉に「留治にこれを届けるように」と頼んでおりました。時に「留治の具合はどうだった」というように、いつも気に掛けていました。父は当時、公職追放の身でした。姉は放課後、それを届けて、ついでにちゃっかりと宿題まで教わって帰っていたようです。
留治さんとわが家とは、縁続きであり、子どものころから亡くなるまで、そして現在も、ご家族とは変わらないお付き合いをさせていただいております。
父は戦前、旧黄金村(鶴岡市)役場の助役でした。父が鶴岡中学校夜間部に通っていた留治少年を役場職員に採用し、働いてもらったことや、読書好きの二人の関係については、著書「半生の記」や「帰省 未刊行エッセイ集」に詳述されています。
父は66(昭和41)年の暮れに脳出血で倒れ、右半身不随となり、それ以降、読書ざんまいの毎日を過ごしました。留治さんは出版された小説を必ず送ってくれ、父はそれを丁寧に時間をかけて読み、楽しんでいるものでした。
わたしたちも早く読みたくて「こっちに回してくれ」と言うと、「早く読みたいなら自分で買ってこい」と叱られました。作家にとっての一番は本を買って読んでくれる読者、という思いだったのでしょう。父は留治さんから「午後2時ごろならばいつでも電話していい」との了解を取っていました。その時間帯であれば、執筆の邪魔にならないということでした。父は慣れない左手でダイヤルし、近況や小説の感想などを話していたものでした。
「藤沢周平」として世間に知られるようになってからも、留治さんは帰省のたびに、わが家に寄ってくれ、時には泊まっていってくれました。最後に帰省されたのは94年10月で、父は寝たきりの状態でしたが、頭も目も耳もしっかりしておりました。留治さんは夕方いらっしゃり、父を見舞ってくれました。
父の手を握って「教員の休職期間が終わり、これからどうしたらいいものかと思い悩んでいたところに、父ちゃんが東京の病院に来てくれたっけのう」と語りかけていました。大粒の涙を流しながら、手を握り返す父の姿が脳裏に焼きついています。
帰り際に「父ちゃん、またくっさげのう」と言った留治さんでしたが、もしかしたらこのころ既に体調を崩されていたのかもしれません。その約束は果たされることはなく、97年1月26日に亡くなりました。父正雄もその翌年11月、旅立ちました。(鶴岡市)
▽たかやま・くにお氏は1944年生まれ。実家が営んでいた旅館では、藤沢周平(小菅留治)さんの姉が働くなど小菅家と関わりがあり、藤沢さんも少年のころから高山家に出入りしていた。現在、藤沢周平著書保存会の運営に携わる。ジャーナリストの高山秀子さんは妹。
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