【没後20年・生誕90年】小菅先生と教え子たち(中) 大石梧郎

2017年11月28日
藤沢さんから書いてもらった色紙(コピー)
藤沢さんから書いてもらった色紙(コピー)
 「耐えるたびに/少しずつ/人生が見えて来る」

 東京などに住む小菅留治先生(藤沢周平さん)の教え子たちは、池袋の割烹「はりまや」で先生を囲む会「泉話会」を毎年開催していました。その会は十数年続きました。冒頭の言葉は、先生がまだお元気だったころ、確か最後となった会で色紙に書いていただいたものです。

 経営している会社の2階に開いたスナックのダンススペースに飾っているのですが、お客さんたちは、まさか私が藤沢周平の教え子だとは思っていないので、「何か関係があるのですか?」とよく尋ねられます。私は苦しい時も、楽しい時もこの言葉を胸に、生きてきました。

 中学校時代を思い出してみると、小菅先生から怒られた記憶もないし、怒った姿も見たことはありません。とにかくいいところをほめて伸ばそうという考えだったのではないでしょうか。先生から英語を教えてもらったことがありますが、授業中はなるべく英語で説明しようとしていました。そしてクラスメートみんなに英語名を付けてくれました。理由は分かりませんが、私は「ロビン」で、親友は「サンデー」でした。面白い話なのですが、不思議なことに覚えていない同級生が多いですね。

大石梧郎さん(右)は20歳の時に、入院していた藤沢周平さん(左)を見舞った。その際に近くの公園で撮影した1枚=1956(昭和31)年
大石梧郎さん(右)は20歳の時に、入院していた藤沢周平さん(左)を見舞った。その際に近くの公園で撮影した1枚=1956(昭和31)年
 私は子どものころから工作少年で、竹と和紙と輪ゴムで飛行機を作っていましたが、兄よりもうまかったですね。中学校を卒業した後、いったんは高校に進みましたが、中退して上京し、親族が経営している工場で働きました。20歳のころ、先生が東京・東村山の病院に入院していると聞き、見舞いに行きました。写真はその際、病院を抜け出して、近くの公園で撮影したものです。上京して初めて新調した背広を着て行ったことを覚えています。

 同室の患者さんから「子どもさんたちが多く来てくれてうらやましい」と言われたそうですが、先生は「生徒のことが心配で心配で、先生などもうこりごり」とおっしゃっていました。先生と会うと常に「~はどうしている?」と教え子たちの消息を気にしていました。私はこれまでの人生で、先生ほど優しい心を持った人と会ったことはありません。

 先生がまだご存命だったころ、文芸雑誌の取材に応えたことがあります。その時、記者の方から「ほとんどの作家は自分の作品が映画化、ドラマ化されると決まると、必ずと言っていいほど主演の俳優と一緒の食事をねだる」と聞きました。ただ、小菅先生は一度としてそのようなおねだりはしなかったそうです。小菅先生のどこまでもまっすぐで、真面目な人柄が分かるエピソードだと思います。(東京都墨田区)

 ▽おおいし・ごろう氏は1936年鶴岡市湯田川出身。16歳で上京し、親族の金属加工・金型設計製作会社に勤務し、29歳で独立。現在、大石工業会長。
藤沢周平生誕90年、没後20年 記事一覧
文字サイズ変更
  • 小
  • 中
  • 大

県内7市発行メールマガジン登録無料

ふるさとだより

週1回配信中!

ニュース特集

スポーツ

教育・子育て

おでかけ

暮らし情報

twitter発信中

山形新聞からお知らせ

  1. 【2018年8大事業】
     山形新聞、山形放送の2018年の8大事業が決まりました。詳しくは、こちらから
  2. 【やましん公式FB】
     山形新聞社は、インターネット交流サイト「フェイスブック(FB)」の公式ページを新設しました。
     公式ページでは山形新聞のニュースのほか、本社からのお知らせなどを中心に紹介します。
     アドレスは、こちらから
  3. 【やましんe聞で動画視聴】
     読者限定の電子版「やましんe聞」で動画を閲覧できる新サービスを始めました。詳しくは、こちらから。
  4. ◆中学、高校の各種スポーツ大会の記録を紹介。検索機能も備えています。アクセス方法はこちら
  5. ◆探したい記事がきっと見つかる、山形新聞記事データベース。他社DB横断検索が便利な日経テレコンジー・サーチファクティバ
  6. ◆県外でも今日の朝刊が朝一で読める「お届け電子版
  7. ◆ニュース速報、高校野球、モンテ情報、おくやみ… 身近な情報を携帯で確認「モバイルやましん
  8. ◆故郷の話題をメールでお届け、ふるさとメール会員募集(登録無料)
山形新聞から
販売から