続・藤沢周平と庄内

【鳴くセミは】生と死の対比

 藤沢周平さんの作品で、夏になると登場するいわば小道具の一つにセミがある。朝のセミ、昼下がりのセミ、夕暮れの、暑熱が残る木々に鳴くセミ…。しっかりと季節感を伝えてくる。そうした中で、セミの鳴き声を単なる情景描写に止めず暗示や心理描写にまで高めた作品が『蝉しぐれ』であろう。同じような手法は『風の果て』の霧の描写にも見られる。霧については、第2部であらためて紹介したい。

 藤沢さんの作品のセミにふれる前に、作家・横光利一が、敗戦時鶴岡市の上郷地区に疎開していて書いた日記風の小説『夜の靴』から一部を引用してみる。評論家・小林秀雄をして「小説の神様」と言わしめた当代きっての文豪が、藤沢さんの郷里・高坂とそう距離を置かないところに住んでいたのである。『夜の靴』を、その後、藤沢さんが愛読したであろうことは想像に難くない。

 七十歳の老婆が生家に来て、しげしげと自分の生まれ育った家の棟を見上げている。「その最後の生の眺めのごとき曲がった後ろ姿に、しきりに蝉の声が降ってくる。庭の古い石の上を白い蝶の飛びたわむれている午後の日ざし、-昼顔の伸びの悪い垣の愁い」(『夜の靴』)。その後、八月某日の日記に再びセミの描写がある。「空が徐々に霽(は)れるに従い、竹林の雫の仲から蝉の声が聞こえて来る。」(同)

 藤沢さんのセミの描写に相通じるものがここにはあるように思える。老婆の後ろ姿に降り注ぐセミの声は、長い人生を生きてきた一人の女性の間もなく迎えるであろう死、そしてセミの地上での瞬時の生の証(あかし)。華やぎとはかなさ。生と死。そういうものが凝縮されている。後段の竹林のセミは、雨後の自然現象として、真夏の昼下がりの季節感を鮮やかに描き出す。

 『蝉しぐれ』では、何回となく、横光の『夜の靴』の老婆の後ろ姿に降り注いだセミの声が鳴く。早朝、普請組屋敷で鳴く「にいにい蝉」は主人公・牧文四郎の青春真っただ中を暗示する(「朝の蛇」)。

 「夜祭り」の冒頭に雑木の中で鳴くセミも同じである。生の輝きがある。初夏に鳴くニイニイゼミには、これから夏本番を迎えるという、どこか心浮きたつ躍動感がある。

 父親が藩の政争に巻き込まれ、城下の北東にある龍興寺で切腹するが、遺体引き取りまでの「黒風白雨」、「蟻のごとく」の二章は作中いたるところでセミが鳴く。龍興寺、普請組近くの矢場跡の雑木…。ここで鳴くセミの声には、過酷な運命にほんろうされる主人公・牧文四郎の心の乱れ、父の死の衝撃、そして人の世のはかなさ、醜さなどが一層浮き彫りになる仕掛けがある。『夜の靴』の老婆の後ろ姿に降りかかるセミの声に最も近い描写といえる。

 夏の盛りのセミである。強いて特定すれば、庄内ではミンミンゼミとアブラゼミであろう。さらに詮索するならば、死を直前に控えた父との面会の後に聞こえてきた「耳にわんとひびくほどの蝉の声」はミンミンゼミか、そして普請組近くの矢場跡の雑木で「騒然と鳴く蝉」はアブラゼミ…。

 この夏、市街地北東にある山王日枝神社の境内を訪れて聞いたセミの声は、アブラゼミのジージーという声に、甲高いミンミンゼミの鳴き声が混じっていた。

 『蝉しぐれ』の最後のくだり、父・助左衛門の名を継いで郡奉行に出世した文四郎は、幼なじみでかつて心を寄せた「お福さま」と再会する。村はずれの湯宿である。二十余年ぶりの逢瀬であった。

 その帰り、セミが再び鳴く。「さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た」(「蝉しぐれ」)。

 日は既に傾いている。ここで鳴くセミはヒグラシであろう。カナカナゼミともいうこのセミは、朝と夕に鳴く。人生のたそがれを迎えつつある文四郎とおふく。いろんなことがあっても、人間の生涯はしょせん、セミの一生と大差ないのではないか。『蝉しぐれ』の幕を引くのにふさわしいセミといえる。

 庄内砂丘地のクロマツ林では晩夏、よくこのヒグラシが鳴く。

続・藤沢周平と庄内 海坂藩まぼろし

文字サイズ変更
  • 小
  • 中
  • 大

県内7市発行メールマガジン登録無料

ふるさとだより

週1回、ふるさとの話題をお届け

ニュース特集

スポーツ

教育・子育て

おでかけ

暮らし情報

twitter発信中

山形新聞からお知らせ

  1. 【2017年8大事業】
     山形新聞、山形放送の2017年の8大事業が決まりました。詳しくは、こちらから
  2. 【やましん公式FB】
     山形新聞社は、インターネット交流サイト「フェイスブック(FB)」の公式ページを新設しました。
     公式ページでは山形新聞のニュースのほか、本社からのお知らせなどを中心に紹介します。
     アドレスは、こちらから
  3. 【やましんe聞で動画視聴】
     読者限定の電子版「やましんe聞」で動画を閲覧できる新サービスを始めました。詳しくは、こちらから。
  4. ◆中学、高校の各種スポーツ大会の記録を紹介。検索機能も備えています。アクセス方法はこちら
  5. ◆探したい記事がきっと見つかる、山形新聞記事データベース。他社DB横断検索が便利な日経テレコンジー・サーチファクティバ
  6. ◆県外でも今日の朝刊が朝一で読める「お届け電子版
  7. ◆ニュース速報、高校野球、モンテ情報、おくやみ… 身近な情報を携帯で確認「モバイルやましん
  8. ◆故郷の話題をメールでお届け、ふるさとメール会員募集(登録無料)
山形新聞から
販売から