続・藤沢周平と庄内

【史料は語らず】“三方国替え”強訴を支えた豪商本間家

 藤沢さんの作品で、荘内藩の歴史が最も詳細に描かれているのは『義民が駆ける』であろう。天保十一年十一月から翌十二年七月にかけての三方国替え阻止運動の顛末記である。史実を後世に伝えるため書かれた「夢の浮橋」という戯画が残っており、この地方では「天保の義民」として知られている。作品は史実を丹念に追い、庄内の農民の動きから江戸幕閣の心の様子までを描写しており、歴史絵巻を見る思いである。加えて、多彩な登場人物が時代の息吹を伝える。その中から、幾人かの作中人物に焦点を当ててみよう。

 物語は荘内酒井家が長岡へ、長岡牧野家が川越へ、川越松平家が荘内へ、という三方領地替えの幕命が下るところから始まる。

 荘内藩の藩主は十代忠器(ただかた)で五十九歳。世子忠発(ただあき)は二十九歳。江戸藩邸住まいである。江戸詰めには頭脳明晰で弁舌が立つ留守居役・大山庄太夫がいる。大山はもと葛飾北斎の弟子服部北李の子。江戸で忠器に才幹を見出され、藩主の信は厚い。

 国元を固める重臣は、家老が藩内で両敬家と尊称される藩主親戚の酒井吉之丞、酒井奥之助、それに松平甚三郎、中老が親戚筋の松平舎人(とねり)、酒井玄蕃など。

 作品では、忠器がこうした重臣を柱に藩政を動かしており、世子の忠発はどちらかというと重臣たちからの信頼が薄い、と書いている。そして、大山は忠器公ひいては、主流派重臣に密着していた、としている。藩内が一丸となって幕命への対応を講じている中で、藤沢さんは、後に改革派と呼ばれる主流派重臣による藩を二分した内紛、大山庄太夫の一件(丁卯(ていぼう)の大獄)の影を匂わせている。

 三方国替えでは私(し)を捨て、藩を守った重臣たち。大山庄太夫は江戸藩邸の登場人物の中では主役の一人である。それが、忠器公没後、忠発公の跡目を巡る争いと幕末の佐幕、公武合体両派の藩の主導権争いに巻き込まれ、かつての主流派重臣とともに厳しい処断を受ける。自裁した大山は、藩の処分が決まるまで塩漬けにされ自宅の庭に埋められた。処罰は家族や親類にも及び、明治以降も、庄内ではこの件に触れることがタブーとされてきた。「大山庄太夫の一件」は、『義民が駆ける』にその萌芽を見出すことができる。

 三方国替え阻止運動で重要な役割を担うのは、酒田の豪商・本間家である。五代光暉(みつあき)が登場する。本間家と荘内藩のつながりは古い。酒井家六代忠真(ただざね)に御用金三百両を献じたのが始まりとされる。

 本間家はその後、献金、献米を通じて藩に密着し、農民に低利融資を行うなど、巨大な金融家、地主としての地位を確立していく。三代光丘(みつおか)は、藩の郡代次席に遇せられた。最初の献金から七十年後のことである。しかし、その後の寛政の改革では、郡代白井矢太夫の改革案に沿わないとして藩政から遠ざけられる。白井は藩校・致道館を創設した人である。

 白井はその後失脚し、四代光道が郡代役所に復帰、五代光暉も藩政に深く係わるようになる。農地の集積はこの間にも進み、実力は六万石といわれた。立派な大名の石高である。

 国替えに必要な資金のほとんどを、藩は本間家からの借財で賄おうとした。三十万両の資金を要請したともいわれる。作品では、七万三千両という数字が出てくるが、藩に用立てした金とは別に、最上川を挟んだ川北(酒田・飽海)と川南(鶴岡・田川)の百姓が江戸に上って駕籠訴(かごそ)をするが、この資金も実は本間家から出ていた、というのが定説である。

 『義民が駆ける』にも、その辺のくだりがある。また、佐藤三郎著『酒田の本間家』も、そうした説である。明確でないのは、本間家の史料にも国替えについての詳細な記述が残っていないからである。その後の幕府の仕返しを恐れた荘内藩でも、国替えについての史料は多くを語っていない。

 作品の中に、本間光暉が米沢藩から金の都合をする場面が出てくる。荘内港の転封に使われる金であることは自明である。それでも米沢藩は金を工面した。これは、二代前の光丘が米沢藩の改革に力を尽くし、上杉家とは深いつながりがあったことを示している。藤沢さんの遺作『漆の実のみのる国』にも登場する重臣・荏戸(のぞき)善政は上杉鷹山の命を受け、酒田の光丘の元を訪れて「米沢十万の民の命を育ててくれ」と懇願したという。光丘はその赤心に打たれ、できるだけの助力を惜しまない、と承諾した、と『酒田の本間家』は記している。光暉への金の都合は、そうした恩義に報いるためだったといわれる。

続・藤沢周平と庄内 海坂藩まぼろし

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