【霧の意味】幻想的な故郷の山

 藤沢周平さんの作品には色彩、音、味、匂(にお)いという五感に訴える描写が数多く出てくる。文章の達人と言われるゆえんであるが、こうした手法は作品の世界をより現実的にする一方、登場人物の心理、あるいは小説の筋書きを読み取る上で重要な手掛かりを読者に与えてくれる。幾つかのキーワードのうち、ここでは「霧」を取り上げてみる。

『蝉しぐれ』のセミが、物語の展開の要所で鳴き、主人公の置かれた状況が際立つ効果を上げていることは前に紹介した。

金峯山には霧がよくかかる
金峯山には霧がよくかかる
 同じように『風の果て』という作品では、霧が重要な役割を担っている。主人公・桑山又左衛門の心理を、霧に託して見事に描ききっている。例えばこんなくだりである。

「女中のちよが膳を下げに来た。『おや、霧が入って参りました』とちよは言った。その声で顔を上げると、廊下に白い霧がうずくまっていた。霧は消えるどころか、外の闇を満たしただけで足りずに、家の中まで入り込んできたらしい」(『風の果て』)。

 物語は、藩の首席家老まで上り詰めた主人公が、部屋住みでだめ叔父といわれ、それでいて腕の立つかつての道場仲間の一人から、いわれのない果たし状を受けるところから始まる。決闘まで五日。その間、道場での剣の修行、仲間との友情、家老まで上り詰めたいきさつなどを回想する形で話は進む。そして、物語が現在進行形になり、家老の邸宅で思いをめぐらす時に、霧が漂う。時には、庭にわだかまる夜の霧が家の中にまで侵入してくるのである。

 引用した部分は、藩内の争いの中で、桑山又左衛門追い落としの策謀が急を告げる場面である。これもかつての道場仲間・杉山忠兵衛(鹿之助)が反対派の中枢として動き、そしてまたおのれは別の道場仲間の一人から果たし状を受けている身である。不安とやりきれない心のわだかまりが募ってくる。霧は心に宿る不安、恐怖を象徴し、物語はこの後、一波乱も二波乱もあるだろうことを暗示する。

「不安」を示す霧は、他の作品にもよく出てくる。一、二上げてみよう。短編『小川の辺』では、藩士を斬って脱藩した妹の亭主を上意討ちにするため旅に出る主人公。藩命を遂行するにせよ、返り討ちに遇うにせよ、いずれも気の重い立場なのである。その朝、城下はやはり霧が立ち込めていた。さらには、歴史小説の代表作の一つでもある『一茶』で、遺産をめぐる争いを仕掛け、信濃国・柏原村に弟を訪ねる小林一茶は、故郷の山々にかかる濃い霧を見る。骨肉相食(あいは)む異母弟との争闘が待っているのだ。

 美しく描写される霧も、持つ意味においては例外でない。『蝉しぐれ』の冒頭近く、こんなくだりがある。

「いちめんの青い田圃は、早朝の日射しを受けて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残りの霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光を受けて、かすかに赤らんで見える」(『蝉しぐれ』)。

 農村の原風景とでもいうべき、美しい描写である。そうした情景描写の一方で、「じっと動かない霧」は、主人公・牧文四郎の、藩の世継ぎをめぐる暗闘にほんろうされる宿命を暗示している。赤らむ色合いは、「おふく」との淡い恋に彩られる青春時代を意味していよう。

 霧をこれほど効果的に描いた作家を、ほかに見いだすことは難しい。

 藤沢さんの郷里・鶴岡市高坂は、標高五百メートル足らずの金峯山(きんぼうざん)の麓にある集落である。そこから仰ぎ見るこの山は、頂上近くが急峻なため、標高に似合わず天候の変化が激しい。霧がよくかかるのである。特に夏は、杉の黒々とした梢(こずえ)を乳色の霧が覆う。流れずじっととどまっていたかと思うと、突然消えて日の光が降ってくる。それはあたかも、藤沢さんの作品に漂う霧のようでもある。

続・藤沢周平と庄内 ふるさと庄内

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