【羽黒の山伏】血脈を保つ三十五坊

 『春秋山伏記』の主人公・大鷲(しゅう)坊は羽黒の山伏である。作中に山伏の祈祷(きとう)や験(けん)試しについての記述があり、山伏とはそういうものか、と何となく分かるような気になる。そして、作品の最後に「山伏は巫女(みこ)を娶(めと)るという厄介な定めがあるが…」(「人攫い」)と書いている。羽黒の山伏は民衆の中でどんな立場にあったのか。羽黒修験道ともいわれる出羽三山修験道について少し詳しく調べてみよう。藤沢さんは、民俗学者・戸川安章さんから修験道についての知識を得ている。

 まず、羽黒では修験者と山伏、法印が一緒である。修験者は次の三つに大別出来る。清僧修験者(山内修験者)と山麓修験者(妻帯修験者)、それに末派修験者である。

 清僧修験者は羽黒山神域から生涯一歩も出ず、妻帯はもちろん肉魚食を絶ち、精進料理だけで修行を続ける者をいう。一生独身のため、法燈は弟子によって受け継がれた。羽黒山中には清僧修験者の坊が三十三カ所あったといわれ、安政五年の覚書には僧の数五、六百人とある。明治維新の神仏分離、修験道宗廃止でこうした坊はことごとく壊され、表参道の二千四百四十六段の石段周辺にある平場が当時の坊跡の名残を止めている。

 次に山麓修験者とは、羽黒山山麓に坊を連ね、妻帯して一家を構え修験道に精進する山伏のことである。山麓の手向(とうげ)地区には、法燈を親から子へと世襲で受け継ぎ、その血脈を保っている坊が、いまも三十五軒ある。往時は三百に近い坊があって、約四千人の山麓修験者がいたという。こうした山伏は、東北地方は霞(かすみ)場、関東地方は旦那(だんな)場と呼ぶ信者の縄張りを回り、札を配って初穂(祈祷料)をもらった。現在は宿坊と山伏を専業としているのは約二十軒。後はサラリーマンの兼業である。

 第三は末派(まっぱ)修験者である。秋の峰入りなど一定の修行を羽黒山で積み、霞状を羽黒山からもらって地域に住んだ。信者のために祈祷、呪術(じゅじゅつ)、悪霊祓いなどを行い生活していた。『春秋山伏記』の大鷲坊はこれに当たる。

 現在に残る羽黒の山伏は、神社系と寺院系に分かれる。根は一つであったが、神仏分離で分かれたのである。最も大事な修行の一つ秋の峰入りは、神式と仏式の二通りがあり、最近ではいずれも女人禁制を解いて門戸を広げている。

 さて、『春秋山伏記』の冒頭に近いくだりで、赤川に落ちそうになった「おとし」母子を大鷲坊が助ける。その時、おとしは「助けらえました、おんぎょう(行者)さま」と感謝する。大鷲坊は「おんぎょうでは無(ね)」と言って「俺は羽黒からきた山伏だ」と訂正する。ここには、山伏と行者(行人)の違いが出ており、山伏の誇りが見えて面白い。

 行人、行者は信者から「おんぎょうさま」と呼ばれた。一生不犯の一世行人と妻帯行人がおり、山内での地位は低かった。修験道の修行を本格的にやっていないので、山伏とは一線を画していたらしい。地位が低いために、湯殿山の一世行人の中には穀絶ちをして即身仏になり、聖人になるものもいたという。

 このほかに、太夫というのがいた。大社、名社に出仕し、社領の配当に預かっていた者と、村の社に奉仕した者とがあり、神道的色彩の強い者と修験者的性格の強い者とがいたという。

 作品で、大鷲坊から薬師神社の別当を追い出される「月心坊」は、さしづめこの太夫に近いのではないか。あるいは、往時、偽山伏が横行し、くいぶちをかせいでいたというから、その類ともとれる。しかし、物語の最後で改悛の情を見せる月心坊は、山伏の聖なる部分を最も鮮烈に発揮する修験者として描かれている。

 巫女は、社に出仕し神楽を舞ったり神託を開く。結婚しないのを原則としたが、修験者と結婚して坊跡を守る者も多かった。作品の最後に出てくる「山伏は巫女を娶るという厄介な定め…」はここから来ている。

 山麓修験者、つまり妻帯修験者として手向地区の大聖坊を営む星野文紘さん(51)は十代目に当たる。秋の峰入りを二度ほど経験し、修行を積んだ。羽黒町役場に勤務する公務員である。山麓修験者でも身分の高い御恩分(ごおんぶ)であり、羽黒山神社から半分職員の辞令を受けた「祝部(はふり)」である。「御恩分というのは、羽黒権現の御恩を受けている分際という意味。権現さまの直参という心掛けで奉公せよ、というのが家訓になっている」と語る。

 出羽三山信仰は「死と再生」であり、羽黒修験道は再生への修行だと星野さんは言う。

 中世では、出羽三山は月山、羽黒山、葉山(村山地方)であったという。月山は阿弥陀如来を祭り過去を、羽黒山は観音さまを祭って現世を、葉山は薬師如来を祭って来世をそれぞれ意味した。近世になって、奥の院の湯殿山が大日如来を祭って来世を意味するところから、葉山の代わりに湯殿山を三山の一つにしたという。

 修験道の峰入りは、白装束に身をまとい、つまりは死の世界から出発する。十戒の行(ぎょう)を経て再生するわけである。近年、この行に癒(いや)しを求めて参加する善男善女が後を絶たない。

◇参考文献 『羽黒山伏と民間信仰』(戸川安章著、鶴岡市公民館刊)、『出羽三山への道』(近藤侃一著、新人物往来社刊)、『修験道と民俗』(戸川安章著、岩崎美術社刊)、『新版出羽三山修験道の研究』(戸川安章著、佼成出版社刊)、『出羽三山の信仰と伝統』(阿部良春著、東北出版企画刊)

続・藤沢周平と庄内 ふるさと庄内

[PR]
[PR]