【置き忘れたもの】変容する「ふるさと」

 これほど故郷にこだわり、愛着を持った作家はいないのではないか、と思われるほどに藤沢さんは、庄内とりわけて鶴岡市や高坂について書いている。エッセーにも記しているが、古里について書くことは、つまりはアイデンティティーの確認作業である、という。しかし、古里への思いは一様でない。変容する郷里に、時として激しく揺れる心の襞(ひだ)をのぞかせる。

 藤沢さんの抱く「ふるさと」とはどんなものだったのか。

 古里を描く時、藤沢さんの筆は抑え気味である。そこで生きなければならない人たちへの配慮が働く。さらには、散文という表現方法にもよるだろう。温和な藤沢さんがそこにはいるが、一転して詩には激しい本音が現れてくる。少し長くなるが紹介してみよう。

 【忘れもの】
 置き忘れたものがある。さて、それを置いたのはオオバコの葉の陰だったのか、河原を這(は)うテリハノイバラの白い花のそばだったのか。そのまま旅に出たのが悔やまれる。

 かつて一度、かがやく二つの平野を横ぎり、ひとつのずい道を駆けぬけ、胸はずませて捜しに戻ったことがある。だがそこには見覚えのない旗が翻(ひるがえ)り、辻ごとに子供らは嘲(あざけ)り笑い、ノイバラは枯れ、オオバコは狂気して繁茂するばかりだった。

 あるいはあてのない旅に疲れ果て、幻を視(み)るのか。それともすでに誰かが、黒い布に面(おもて)を包んでそれを掠(かす)めとり、奔(はし)り去ったのか。(『ふるさとへ廻る六部は』新潮社)。


 ここには、藤沢さんの本音がかなり明確に出ている。「置き忘れたもの」が何であるのか、「黒い布に面を」包んでいるのは何なのか…。この答えの一部を、同じ『ふるさとへ廻る六部は』のあとがきで書いている。

 「生活の利便と経済効率という大義名分のもとに、私の村はいずれ夜も昼もごうごうと車が走りぬけ、風景は乾いて、歪(いびつ)なものに変わるだろう。私はエッセイの中ではずいぶん筆をおさえて書いたが、故郷喪失の感慨は深く落胆は押えがたいものがある」と。高速道路が郷里の高坂地区を通ることで古里の風景が失われる、という危機感を記している。つまりは、文明というものにも通じるだろう。

 「故郷」という唱歌がある。うさぎ追いしかの山…の、あの歌である。いつも変わらずある山や川、そして父母-。故郷を離れれば、夢はいつもその辺を巡る。作家・藤沢周平の存在理由と切り離せない部分の田舎が、“田舎”でなくなることへの反発や危機感。土着性ともかかわって、存在理由の根底を揺さぶられることへの本能的な抵抗。置き忘れたもの、は唱歌にある「故郷」であり、黒い布で面を包んでいるのは、利便性と経済効率という大義名分であろう。

 この「故郷」には、藤沢さんが時代小説で、愛着をもって紹介してきた庄内の食べ物や方言、ひいては海坂藩そのものも含まれていよう。利便性や経済効率と相対する「人間の暮らしのほかの要素」(『ふるさとへ廻る六部は』)こそ、藤沢さんが古里に求めたものではなかったか。

 昭和五十年ごろ、地元・高坂に企業進出の話が持ち上がる。正確には、工場移転である。この用地買収に藤沢さんは猛烈に反発する。地元には誘致協力会が発足、事務局が市役所に置かれる。買収を巡る動きを批判して藤沢さんは、週刊誌にその経緯を書いた…。

 およそ二十年後、当時買収を担当した柴田豊太郎さん(75)=鶴岡市大山=と藤沢さんは「世紀の和解」をする。「上京して、十五分ということでお会いした。お互い何も言わず握手をしたが、藤沢さんがぽつりと『柴田・藤沢世紀の和解』とおっしゃった。それから一時間以上、大山にあった尾浦城の武藤家のこととか歴史観について話をしたことが忘れられない」と柴田さんは振り返る。

 「人間は身勝手なもので、古里はいつまでも変わらないで昔のままであってほしいと願うものである。しかし、そこには生活があるわけで…」と藤沢さんは、昭和六十一年十月、鶴岡市で行った記念講演で語っている。

 古里への理解をも示しているが、純粋に求めれば求めるほど心の中の「ふるさと」と現実との乖離(かいり)に焦燥を深めていったのではないか。

 「いつもそうだが、郷里では私はふだんより心が傷みやすくなっている。人にやさしくし、喜びをあたえた記憶はなく、若さにまかせて、人を傷つけた記憶が、身をよじるような悔恨をともなって甦るからであろう」(『周平独言』文藝春秋)という文章には、身を切るほどに己に正直な藤沢さんの姿がある。

続・藤沢周平と庄内 はるかなる藤沢周平

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