続・藤沢周平と庄内

荘内藩略年表

 西暦  年号 事項
1527大永7酒井忠次、京都で生まれる
1536天文5父忠善、三河で卒する、忠次10歳で家督を継ぐ
1561永禄4忠次、主君清康の娘於久(碓井姫)を妻に迎える
1564永禄7家次、三河で生まれる
1587天正15武藤義興が山形城主最上義光と東禅寺筑前(前森蔵人)に挟撃されて討ち死に、庄内は最上領となる
1588天正16忠次、京都桜井屋敷に隠居、家次家督を継ぐ
越後上杉氏の将・本庄繁長が庄内に侵入し、十五里ヶ原合戦で最上勢を破り庄内を奪回
1591天正19庄内が上杉景勝に与えられる
1594文禄32月、下総碓井で忠勝生まれる
1596慶長元10月28日、忠次、京都桜井屋敷で卒する(70歳)
1600慶長5関ヶ原合戦で東軍に属した最上義光が東禅寺城を攻略、庄内3郡と由利郡を加封される
1604慶長9家次、碓井より上野国高崎5万石に転封
1611慶長16最上氏が庄内3郡の検地を実施
このころ青竜寺川、北楯大堰などの大灌漑用水路が開鑿され、以後新田開発が進む
1616元和2家次、越後高田10万石に転封
1617元和3忠当、高田で生まれる
1618元和43月、家次、江戸で卒する(55歳)、忠勝家督を継ぐ
1619元和53月、忠勝、信州松代10万石に転封
1622元和8最上氏が改易。52万石の遺領は6人の大名に与えられる
酒井忠勝が庄内13万8000石を拝領、鶴ヶ岡を居城とする町割を開始
1623元和9領内総検地を実施
1624寛永元柴田武右衛門、米札制定、家臣に支給
1632寛永9熊本藩主加藤忠広が改易、荘内藩に預けられ、主従25人が丸岡村に幽閉。領地1万石を与えられる
1633寛永10白岩領主、酒井長門守忠重事件(領民、幕府に訴え出る)起こる
1639寛永16忠恒(松山藩主)生まれる
1643寛永20忠勝、幕命により若松城を受け取る
1644正保元忠義生まれる
1646正保3酒井長門守忠重が御家乗っ取りを企て藩内が騒擾、筆頭家老高力喜兵衛らが追放される(長門守一件)
1647正保4忠勝江戸で卒する(54歳)、忠当家督、忠勝の次男忠恒松山2万石、7男忠解大山1万石に分知
1648慶安元老中松平伊豆守信綱の助言で藩制を整備
1652承応元忠当、長門守に2万両を贈り義絶
1653承応26月、加藤忠広丸岡で卒する
1660万治3忠当鶴岡で卒する(44歳)、忠義家督を継ぐ(17歳)
1668寛文8高力伊予守常長を鶴岡に預かる。大山藩主酒井忠解卒する(26歳)、嗣子なく改易、公領地となる
1672寛文12幕府、河村瑞賢に命じ酒田港に御米置場(瑞賢蔵)を設け、西廻航路を開く
1675延宝3忠義、将軍家綱東叡山参詣に供奉先頭を命じられる
1680延宝8伊予守常長許されて江戸に帰る
1681天和元11月7日、忠義江戸で卒する(38歳)、この時より殉死を廃す
1682天和2忠真家督を継ぐ(13歳)、幼少につき国目付遣わされる
1689元禄2忠真、徳川光圀の孫、細川越中守綱利の女密姫と婚姻、5月光圀来庄
松尾芭蕉、河合曽良師弟庄内に来遊
1693元禄6明石藩主本多出雲守政利が改易、荘内藩に預けられる
1699元禄12鶴岡町の盆踊りが許される
1701元禄14兵具に酒井家祖先の紋所、三星紋を制定
1702元禄15幕府より預かり中の本多出雲守乱心し、藩の扱い宜しからずと酒井忠真が7月26日より12月24日まで閉門謹慎、多くの家臣が処罰される
1704宝永元鳥海山境界争いが矢島藩との間に起こり、幕府実地踏査の結果勝訴となる
1707宝永45月鶴岡城西に女中御屋敷を建てる。後に御隠殿と称した(現在の致道博物館)
忠真東海道普請を命じられる。工費2万2000両を費やし、翌年1月竣工
1719享保4忠真、松山藩主酒井石見守忠予の次男主計(忠寄)を養子とする
1720享保5大凶作。施粥を実施
1723享保89月13日、忠寄、松平加賀守綱紀の養女蝶姫と婚姻する
1731享保166月28日、忠真、神田邸で卒する(61歳)
10月、養子忠寄7代を継ぐ
1732享保177月17日、忠温生まれる
1739元文4忠寄、日光廟修理を命じられ、総費用4万8470両を領内より募る
1748寛延元町人から御用米を借り上げ、帯刀を許す(町人帯刀の始まり)
1749寛延29月、忠寄老中となる。在職16年
1752宝暦2忠寄、「因幡堰」の大改修を命ずる
1755宝暦5奥羽大凶作、「宝五の飢饉」
1756宝暦6松山藩士270人が藩主忠休を弾劾する口上書を提出、処罰される(宝暦事件)
1758宝暦8本間光丘、砂防林植林着手
1764明和元忠寄、病のため老中を辞す
1766明和33月30日、忠寄、江戸で卒する(62歳)
5月忠温8代を継ぐ
1767明和41月3日忠温卒する。2月、忠徳9代を継ぐ
酒田の豪商本間光丘を士分に取り立て困窮藩士の救済に当たらせる
1768明和5本間光丘、藩命により「大津借」を整理し、籾2万4000俵を献じ、備籾を始める。
1770明和7本間光丘が長年の功績により禄高500石、30人扶持となる
1772安永元6月13日、忠徳初めて帰国、福島で旅費に窮する
1773安永211月、忠徳、田安宗武の女修姫と婚姻
1776安永5本間光丘に藩財政整理を命じ、次第に好転する
1780安永96月18日、庄内大地震
1788天明82月、忠徳、東海道川普請を命じられる
6月、幕府巡見使一行来庄、随員の古川古松軒が「東遊雑記」で荘内藩を賞賛
1793寛政5白井矢太夫が郡代に就任
1797寛政94月、忠徳将軍名代として京に上る。その費用4万両を領内より募る
1800寛政128月、大宝寺に藩校(致道館)を建てる
1801享和元7月13日、鳥海山、前年冬より噴煙をあげ大噴火し、享和嶽(新山)できる
1804文化元6月4日、鳥海山噴火、庄内大地震(象潟隆起する)
1805文化22月、藩校聖廟その他完成、致道館と命名する
9月、忠徳隠居、忠器10代を継ぐ
1807文化44月8日、鶴岡大火、1300戸を焼く(蓮台院火事)
6月、蝦夷地警備に300名派遣、10月帰る
1808文化5大宝寺別荘を廃し、家中屋敷とする。大山領永預かりとなる
1811文化8参勤経路を無届けで変更し、家老竹内八郎右衛門、中老白井矢太夫が免職。水野東十郎が中老に就任
9月22日、総穏寺の仇討
1812文化99月18日、忠徳卒する(58歳)
1815文化12酒田本間光道が郡代役所への出仕を命じられる
1816文化13致道館を大宝寺から三の丸に移転
1821文政48月15日、忠勝入部200年祭を行う
1837天保8忠器、少将に任じられ、将軍(家慶)に供奉して京に上る。供人3996名、総費用6万7500両に及ぶ
1840天保1111月1日、酒井忠器長岡7万石に転封を命じられる。庄内各地に領民による阻止運動起こる(長岡転封阻止一件)
1841天保127月12日、転封中止の命下る。庄内挙げて永城を祝す
1842天保134月、酒井忠器、病のため隠居、忠発11代を継ぐ
大山庄太夫、酒井吉之介、松平舎人ら藩政改革を企てる
1843天保14下総国印旛沼開鑿普請を命じられ、巨額の費用と人力を費やす
国学者鈴木重胤が来庄
1844弘化元幕領の農民が荘内藩の領地になることに反対し、大山騒動を起こす
1846弘化3大山騒動の一味処断される
1848嘉永元頼三樹三郎来庄
1852嘉永5吉田松陰来庄
1854安政元3月20日、忠器卒する(65歳)
1859安政6荘内藩が蝦夷地を拝領、開墾と警備に当たる
8月、英船酒田港測量のため来航するも荒天のため去る
12月、幕府役人酒田港を測量
1861文久元8月、忠発病のため隠居、養嗣子弟忠寛12代を継ぐ
1862文久29月17日、忠寛庄内に下り、麻疹に罹り卒する(24歳)
12月、忠発4男、忠寛の義弟忠篤が13代を継ぐ。10歳であった
1863文久34月13日、清河八郎、江戸で暗殺される
荘内藩、江戸市中見廻り役を命じられ、新徴組160名を預けられる
1864元治元田川郡内公領地2万7000石を下賜され、酒井領17万石となる
1866慶応2藩政改革派逮捕、首領大山庄太夫自殺、翌年一味処断される
1867慶応3改革派の酒井右京らを断罪(大山庄太夫一件)。水帳改めを実施
12月25日、荘内藩兵が江戸薩摩屋敷焼き討ち
1868明治元3月、忠篤ら庄内に帰り、政府軍と戦い、戊辰戦争始まる
9月16日、城中会議を開き降伏に決し、26日、降伏謝罪状を呈出
12月、忠篤引退し、弟忠宝(忠禄)に譲る。忠宝14代を継ぐ
酒井氏が12万石に減封、会津若松に転封を命じられる
1869明治26月磐城平に再転封を命じられたが、70万両の献金を条件に中止。忠宝荘内藩知事となる。大泉藩となり、酒田民政局が酒田県となる。政府献納金70万両の内、30万両献納する
1870明治3忠篤鹿児島に留学、翌年帰る
1871明治4廃藩置県。8月、大泉藩が大泉県となる
11月、庄内3郡を酒田県管内とする
大参事松平親懐、権大参事菅實秀が任命される
1872明治54月、忠篤、兵学修行のためドイツ留学
8月、後田山開墾、10月、松ヶ岡と命名
1873明治62月、忠宝、法律修行のためドイツ留学
5月、ワッパ騒動起こる
1874明治712月、三島通庸酒田県令となる
1876明治97月、ワッパ騒動の一部判決あり、酒田県の不正5万3000余円返償を言い渡される
8月、鶴岡、置賜2県を廃し、山形県に合併される。三島初代県令となる
1879明治126月、忠篤、忠宝ドイツより帰る
1880明治13忠宝引退し、兄忠篤に再び家督を譲る
1884明治177月、忠篤伯爵となる
※『庄内藩酒井家』(佐藤三郎著、東洋書院)、『庄内藩』(斎藤正一著、吉川弘文館)による。

荘内藩歴代藩主一覧表

 代  藩主名 家督年月没年月日享年居城
1酒井忠次(ただつぐ)天文5(1536)慶長元(1596).10.2870吉田
2酒井家次(いえつぐ)天正16(1588).11元和4(1618).3.1555碓井・高崎・高田
3酒井忠勝(ただかつ)元和4(1618).4正保4(1647).10.1754松代・庄内鶴ヶ岡
4酒井忠当(ただまさ)正保4(1647).7万治3(1660).2.944庄内鶴ヶ岡
5酒井忠義(ただよし)万治3(1660).5天和元(1681).11.738庄内鶴ヶ岡
6酒井忠真(ただざね)天和2(1682).2享保16(1731).8.2861庄内鶴ヶ岡
7酒井忠寄(ただより)享保16(1731).10明和3(1766).3.3063庄内鶴ヶ岡
8酒井忠温(ただあつ)明和3(1766).5明和4(1767).1.336庄内鶴ヶ岡
9酒井忠徳(ただあり)明和4(1767).2文化9(1812).9.1858庄内鶴ヶ岡
10酒井忠器(ただかた)文化2(1805).9嘉永7(1854).3.2065庄内鶴ヶ岡
11酒井忠発(ただあき)天保13(1842).4明治9(1876).2.1265庄内鶴ヶ岡
12酒井忠寛(ただとも)文久1(1861).8文久2(1862).9.1724庄内鶴ヶ岡
13酒井忠篤(ただずみ)文久2(1862).12大正4(1915)6.863庄内鶴ヶ岡
14酒井忠宝(ただみち)明治元(1868).12大正10(1921)9.1766庄内鶴ヶ岡
※「庄内人名事典」(大瀬欽哉監修、庄内人名辞典刊行会)より
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