【用心棒日月抄】 俳諧に通じるユーモア

 倉庫の在庫本の山を指さして、いい作家なのに本が売れんなあ、と初期の藤沢周平の短篇(たんぺん)集を出した出版社の社長さんが嘆息したそうである。暗くて重い作品を書く。仕上げはていねいな職人技だが、人を娯(たの)しませる華やかさに乏しい。藤沢周平という作家はそう思われていた。

 初期の作品の底にただよう暗い霧のごときもの。それには理由があるはずだが、時代小説はエンターテインメントだから、読者は飛びつかない。藤沢さんの小説が明るくなったと読者が感じはじめたのは、1976年、作家が49歳の年の9月号から「小説新潮」に発表された「用心棒日月抄」だった。

 主人公の青江又八郎は「北国の小藩」の政争に巻きこまれ、許嫁(いいなずけ)の父を斬(き)って脱藩する。主君毒殺の陰謀を知る又八郎に刺客が放たれる。この設定はこれまでの作品に似て暗雲がたちこめ、しんどそうだなという気にさせられる。ところが、又八郎が糊口(ここう)のために用心棒稼業に手を染めるところから、作品にとぼけた味がにじみ出る。脇役の髯(ひげ)の巨漢・細谷源太夫の人柄が、作品にうるおいを与えることになった。

 源太夫は5人の子を持つ(連作を書きつぐうちに6人目ができる)裏長屋住まいの浪人で、人間はだらしないようだが剣術の腕はなかなかのものがある。武士というより、朴訥(ぼくとつ)な生活人で、いかにも周平好みだ。作家は業界紙の記者として辛酸をなめるような生活が長かったが、その間に源太夫のような小ずるくても憎めない人物に出会ったことがあったのかもしれない。

 小ずるいといえば、又八郎や源太夫に仕事を世話する口入れ屋の吉蔵は、狸(たぬき)に似ていると描写されているが、人柄も狸である。そうした市井の人々が思うままにしゃべり、行動するところからにじみ出る飄逸味(ひょういつみ)が、作品をおのずから明るくする。作家がおしかくしていた個性の一部が、ようやく殻を破ってあらわれたということだろう。このユーモアは俳諧の軽みに通じるものだという気がする。

 「私が小説を書きはじめた動機は、暗いものだった。書くものは、したがって暗い色どりのものになった。(略)しかし最近私は、あまり意識しないで、結末の明るい小説を書くことがあるようになった。書きはじめてから7、8年たち、さすがの毒も薄められた気配である」

 作家自身が「用心棒」シリーズを書いているころこんなことを語っている。

 ところでこの稿を書くにあたって、ぼくは「用心棒日月抄」を再読したが、この作品が赤穂浪士の復讐(ふくしゅう)のサイドストーリーとして企画されたものであったことを、すっかり失念していたので、こんなに殿中の刃傷事件をくわしく書いてあったのかと、意外な気がした。それだけ登場人物に魅力があったから、ぼくの記憶の中から赤穂の事件が消えてしまっていたにちがいない。こんなことをいっては作家に申しわけないが、青江又八郎は赤穂の事件とかかわりを持たせなくとも、十分一本立ちできると思う。

 同業の後進として口はばったいことをいえる立場ではないが、藤沢周平の作品に登場する女性には、なにか手枷(てかせ)のようなものがはめられているような印象があった。初期の作品はとくにその傾向があり、いくら封建制の時代でも江戸の女はこんなふうじゃないと、ぼくはひそかに反発していた。江戸の読み本や日記を見ても、かなり活発であり「山の神」と称せられるくらいの力はある。明治生まれの祖母が元気者というより乱暴者に近かったから、その記憶のせいもあったかもしれない。藤沢さんは作品の中で女性を罰しようとしているのかと思うほどだった。

 登場する女性が魅力的になったのも「用心棒日月抄」からではなかったか。連作のはじめのうち、「梶川の姪」の千加は美人だが内面の夜叉(やしゃ)がおそろしく、「夜鷹斬り」のおさきはせっかく艶(つや)がでてきたところで斬り殺されてしまう。また周平さんが女をいじめる…と思っていたところが、「最後の用心棒」の女刺客の佐知が実に魅力的に描かれている。

 その後の作品に登場するつつましく、美しく、つよい女性たちの、佐知はさきがけのようだった。佐知がどんなふうにいい女か、ということは作品を読んでいただきたい。

(作家、山形市)

 【用心棒日月抄】政争に巻き込まれ、北国の小藩を脱藩した青江又八郎が主人公。江戸の裏店に住み着いた又八郎は、生活のため口入れ屋吉蔵の紹介を受けてさまざまな用心棒の仕事に携わるうちに、四十七士による吉良上野介邸討ち入りの一連の動きを目撃することになる。第1作に続き「孤剣」「刺客」「凶刃」とシリーズ化された。

(2007年1月11日 山形新聞掲載)

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