【春秋山伏記】 方言駆使 身近な主人公

 藤沢周平は昭和51年9月、「家の光」編集部の編集者たちと鶴岡を訪れ、湯田川温泉に泊まっている。湯田川はいうまでもなく作家が若いころに教師をしていた土地である。その旅は「家の光」に連載する小説のための取材旅行だったが、直木賞受賞後3年、多忙をきわめる中での骨休めの意味あいもあったかもしれない。と想像するのは、「春秋山伏記」は「家の光」の翌年1月号から12月号まで1年間連載されたが、小説の構想は取材旅行に出かける前にすでに固まっていたにちがいないからだ。

 「家の光」は農家のための雑誌という性格があり、小説雑誌ではない。山伏を主人公にした作品をという申し出が編集部からあったときには「はたと困惑した」とご本人がエッセーに書いている。しかしいざ連載がはじまると、作者自身が楽しんで書いているような、のびやかで後味のよい農村物語ができあがった。海坂藩の息苦しい人間関係にくらべると、庄内の農村はいかにもおおらかで人間くさく描き出される。

 山伏を主人公にした小説を……と注文されて、作者が困ったのには理由がある。時代小説に登場する山伏はたいがい気味の悪い存在で、まちがってもヒーローはいない。多くの読者に読まれることを要求される時代小説の作者としては、読者の山伏にたいするイメージに不安を抱いたのだろう。ところが、庄内に暮らす人々にとっては、羽黒山伏は身近な存在で、藤沢さんもエッセーで述べているが、勧進に歩く姿を見、法螺(ほら)貝を吹く音をきいて育ったのである。「春秋山伏記」は藤沢周平でなければ……というより、庄内の人でなければ書けなかった小説である。

 主人公の大鷲坊(たいしゅうぼう)は、羽黒山から補任状を与えられて櫛引通野平(くしびきどおりのひら)村の薬師神社の別当となる。櫛引通は江戸時代の通名で、合併前の町村名でいえば鶴岡市から羽黒町、櫛引町、朝日村までがそれ。地名辞典を参照すると、89カ村があったが野平村という村名は見あたらないから、これは作家の創作だろう。作家の故郷、青竜寺組のどこかの小さな村と考えておくことにする。

 藤沢周平という作家は、小説を構想するにあたって、よくよく周到に考えた人だったのだろう。主人公の山伏の内面には決して立ち入らず、終始村人の目を通した姿が描かれる。主人公はつねに見られる人である。その工夫によって、修験の文化に馴染(なじみ)のない読者も、違和感を抱かずに物語にひきこまれる。

 大鷲坊ははじめは村人に警戒されるが、村人を救い、勇気づけ、慰め、しだいに頼りにされる存在となっていく。そのあたりは、昔の西部劇の「シェーン」でも、日本の股旅(またたび)ものの劇でもお馴染のパターンだが、それよりも読者を喜ばせるのは細部である。村人の意地悪さ、慎しみ深さ、喜び、悲しみが、その生活をともにして育ってきた人でなければ書けない細やかさで、さりげなく描写される。

 とくに庄内弁を駆使する会話のおもしろさ。

「おれだば、とってもこげだ荷は背負(しょ)えねの」

「一発やってみっがの。おれサまかせるか?」

 といった塩梅(あんばい)で、庄内出身の人が東京でこの小説を読んだら、目尻に涙がたまるのではなかろうか。読者よりもさきに、机に向かってこの小説を書きつつあった藤沢さんは、懐かしさで胸がいっぱいになっていたにちがいない。単行本のあとがきで、

「私はほとんど恣意的なまでに、方言(荘内弁)にこだわって書いている。お読みくださる読者は閉口されるに違いないが、私には、方言は急速に衰弱にむかっているという考えがあるので、あまりいい加減な言葉も書きたくなかったのである」

 と作者は述べている。エッセーでも静かに語り、あまり調子の高い表現を用いない人だったが、ふるさとの言葉には、強い思い入れがあったのだろう。

 ところで、作家は「春秋山伏記」を構想するにあたって、石坂洋次郎の「石中先生行状記」を思い浮かべたにちがいないと、ぼくは想像している。いまは本を入手するのも困難だが、「石中先生行状記」は、戦後すぐに大評判となり版を重ねた小説で、津軽の農村の人間模様と、おおらかな性を、明るく描いたものだ。「春秋山伏記」の大鷲坊は、村の後家に床の中にひきずりこまれて、そちらのほうの世話もする、好色なところもある人物に描かれている。作品の中を流れるエロスとユーモアが、2つの作品に通じあうものがある。

 「石中先生行状記」を作家が読んだとしたら、若い日、結核で闘病中のベッドの上だったのだろうか。どんな思いでそれをお読みになったか、きいてみたかった。

(作家、山形市)

 【春秋山伏記】羽黒山で修行した後、古里櫛引通野平村にある薬師神社の別当に任じられた山伏・大鷲坊が、藩政時代の村で起こるさまざまな出来事に遭遇する。大鷲坊は知恵と祈とうを武器に、村社会の人間関係のいざこざをはじめ、きつねつき、人さらいなどの問題を解決していく。全編で庄内弁が使われる。

(2007年2月1日 山形新聞掲載)

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