【義民が駆ける】 史実検証し疑問解く

 「義民が駆ける」は中央公論社から出ていた「歴史と人物」という雑誌に、1975年8月号から翌年6月号まで連載された。天保期の庄内藩転封事件を主題とした歴史小説である。この雑誌はとうに廃刊になったが、なかなか格調の高い雑誌だった。直木賞受賞後2年、脂の乗りきった藤沢さんが、よい舞台を得たと腕まくりして執筆した様子がうかがえるような力作である。

 天保11(1840)年10月、大御所家斉(いえなり)の命をうけて、時の老中水野忠邦が、川越藩を庄内へ、庄内藩を長岡へ、長岡藩を川越へ転封するという3方国替えを、それぞれの藩へ命じた。川越藩は家斉の24番目の男子斉省(なりやす)を養子に迎え入れ、世子(せいし)としている。その縁故と多大な賄路(わいろ)の力で、財政破綻(はたん)から脱け出すために、豊かな庄内への移封を大御所に「おねだり」した。川越藩は15万石から14万8000石となり、表向きの石高は変わらないが、庄内藩の実収は20万石以上あったから、大きな得になる。庄内藩酒井家は実収20万石が長岡の7万石に移されるというのだから、罪があって流されるような転封である。こんな理不尽な台命(たいめい)はないと、誰もが内心で怒り、庄内藩を憐(あわれ)んだ。

 庄内地方の領民たちがこの国替えに反対して、江戸へ嘆願に出たり、領内で一揆に似た示威運動を繰り返した事件は、地元では天保義民国替え阻止運動と呼ばれた。「義民が駆ける」という題は、そこから出ている。

 ところで、郷里でよく知られた史実を小説の題材とすることに、作家ははじめためらいを覚えたらしい。父や祖父は誇らかに義民と呼んで讃(たた)えるが、ご本人は素直にそう呼べないこだわりがあったようだ。

 私は子供のころに聞いた。そして一方的な美談として聞かされたために、いつからともなくその話に疑問もしくは反感といったものを抱くようになったのはいたしかたのないことだった。たとえば百姓たちが旗印にした、百姓たりといえども二君に仕えずは、やり過ぎだと私には思えた。

 と本のあとがきに書いている。その逡巡(しゅんじゅん)のために、「義民が駆ける」の執筆は、みずからが史実を検証して納得するための作業となった。

 作品の構成には工夫がほどこされている。ドキュメンタリー映画の手法とでもいおうか。江戸城の小座敷で、老中水野忠邦が家斉から川越と庄内の国替えを命じられる場面からはじまり、御用部屋での老中たちとの相談、庄内藩江戸屋敷の動揺、国元鶴ケ岡城の驚き、つぎつぎに場面がきりかわっていく。ひとりの主人公の視点で、事件を追っていくという手法は採らず、カメラが俯瞰(ふかん)からクローズアップになるように、登場人物の内面をちらりとのぞきこむ。この手法によって、「義民が駆ける」はスケールの大きな群像劇となった。

 ページを繰るうちに、作品の中心に、庄内の農民の群像が大きく浮かび上がってくる。そのなかに、顔ははっきり映らないが、藤沢さんのご先祖が立っているにちがいない。

 作品の後半、庄内から領民たちが大挙して愁訴のために領外に押し出して行く場面で、作者は江戸留守居役の口を借りて、

 酒井家累世の御恩に報いる、と百姓たちはなお、そう謳(うた)っている。しかし仙台藩でも推察したように、いざとなれば彼らは藩を頼らず、彼らの独力でも新領主を排除する腹を固めているのだ。そういう情報を、大山は握っている。行動がそこまで行けば、それはもはや酒井家のためとは言えない。彼ら自身のためなのだ。彼ら自身のためだからこそ、疲労に眼をくぼませ、重い足を引きずって、かくも執拗に彼らは江戸に登ってきている、と大山は思った。

 と書いている。この騒動は、領民がみずからのために主体的に起こした一揆だった、というのが、藤沢さんの得心の行きどころで、「百姓たりといえども二君に仕えず」という旗印に抱いた疑問にたいする回答だった。

 この小説を書いたとき、藤沢さんは48歳だった。わたくしごとだが、ぼくは現在ひとまわり以上上の年となり、おじさんの目で読み返してみて、気がついたことがある。

 藤沢周平という作家は、非政治的人間としての人生を選んだようだが、実は政治が好きだったのではなかろうか。それも旗を立てて天下国家を論じるたぐいの政治ではなく、ムラの人間くさい政治が……。幕臣たちの心の動き、足のひっぱりあいを描き出そうとするとき、作者はおもしろがって、彼らの政治屋根性にメスを入れているように思えるのだ。

(作家、山形市)

 【義民が駆ける】1840(天保11)年、川越藩を庄内藩へ、庄内藩を長岡藩へ、長岡藩を川越藩に移す三方国替えの命が出される。前の将軍徳川家斉が、わが子が養子に入った川越藩の窮乏を救うため、豊かな庄内藩を与えようとした結果だった。庄内一円の農民は、新藩主による厳しい年貢取り立てで農村が壊滅するのを防ごうと、現藩主酒井氏の善政を慕うという名目で、大挙して国替え阻止の行動に出る。

(2007年3月1日 山形新聞掲載)

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