【回天の門】 庄内ならではの人物像

 むかし大井広介という文芸評論家がいた。歯に衣(きぬ)着せぬ野球時評でも人気を博した人だったが、その人があるとき、庄内出身の思想家は場外ホームラン性の大ファウルをかっ飛ばしたと喝破したことがある。

 大井が念頭においていたのは、石原莞爾や大川周明のことで、打球は右翼スタンドをそれて場外に消えたのである。その説を耳にしたのは、ぼくがまだ20代のことで、庄内地方とは縁がないころだが、その後しばしば庄内を訪れるようになってから、大井広介はおもしろいことをいったと思い出した。

 清河八郎もまた、場外大ファウルの打者だったのではないか。この人の評価は、いまだにさだまっていない。

 藤沢周平さんが清河八郎を主人公にして書いた歴史小説「回天の門」は、1977年に地方紙に連載されている。この作品が刊行されたのは、間に1年おいた1979年のことだが、作者が付した「あとがき」は、藤沢さんの文章としてはまことに異質の感を与える。

 清河八郎が後世に記憶されるのは、幕末の文久3(1863)年、幕府の許可を得て浪士組を組織し、将軍上洛(じょうらく)の先乗りとなって京都におもむいたさいに、浪士組をそっくり尊皇攘夷(じょうい)の党に変えようとした奇策によってである。こうした行動を明治の史家は「敵本主義」と呼んだ。敵は本能寺という、信長を討った明智光秀の故事にもとづいた言葉である。

 藤沢さんは「あとがき」を「清河八郎は、かなり誤解されているひとだと思う。山師、策師あるいは出世主義者といった呼び方まであるが、この呼称には誇張と曲解があると考える」と書き出している。

 そうしてその悪評について反駁(はんばく)をくわえたあとで、

 そうは言っても、八郎が浪士募集で、いわば幕府を罠に嵌(は)めたやり方を、快く思わないひとはいただろうし、現在もいるだろう。たしかにこの策を思いついたとき、八郎は自分の奇策に酔ったかも知れない。権力を相手どって、放胆な奇策を打ち出すことを快とするのは、八郎の一性格であった。快としたその分だけ、八郎に徳がないとも言える。

 とも書いている。そのあとで、八郎の奇策の理由を論じているのだが、そのポレミック(論争的)な姿勢が、つねの藤沢さんの文章からみれば異質とも感じられるのだ。

 さきに単行本は新聞連載から1年の間をおいて出版されたと書いたが、「あとがき」はそのさいに執筆されている。新聞連載後1年をおいても、作者の胸のうちになおおさまらない火照りが残ったということか。ぼくが勝手に想像するに、清河八郎という人物について、なお作者自身が納得のいく回答をみつけていないということではなかったろうか。

 「回天の門」は、いわば青春編というべき前半部と、政治編というべき後半部では、いささか味わいが異なっている。庄内の風景の下で展開する鬱屈(うっくつ)した青年の物語である前半部は、いかにも藤沢周平の世界だ。

 作者は八郎少年の性格に「ど不敵」という土地の言葉をあてている。作者の説明によれば、「自我をおし立て、貫き通すためには、何者もおそれない性格のことである。その性格は、どのような権威も、平然と黙殺して、自分の主張を曲げないことでは、一種の勇気とみなされるものである。しかし半面自己を恃(たの)む気持が強すぎて、周囲の思惑をかえりみない点で、人には傲慢(ごうまん)と受けとられがちな欠点を持つ」という孤立的な性格だという。

 こうした「ど不敵な性格」と、ともに、権力を相手どって放胆な奇策をうちたてることを快とする性格は、八郎に固有のものというよりも、田舎者の劣等感と自負心がよりあわされた奇策癖だとも、作者は作品中のべつの場所で述べている。そうだとすると、清河八郎という人物は庄内人の一類型で、庄内から出るべくして出た人だということになる。

 後世にのこされた歴史資料にあらわれる清河八郎という政治的人間ではなく、日記や書簡にあらわれた清河八郎という人間をみると、情のこまやかな、親思い妻思いのやさしい人間だと、誰もが感じるだろう。その人が、激動の幕末史の上に登場すると、にわかに策士、奇士の面影をもち、ついには暗殺という非業の死をとげなければならなかったのか。作者は「回天の門」を構想するとき、よくよくそのことを考えたはずである。

 そのとき、清河八郎はどのような人間であったかと考えるのと同じくらい、庄内地方はなぜ清河八郎を生んだのかと考えたのではないか。そんな気がする。「回天の門」は、庄内人の小説である。

(作家、山形市)

 【回天の門】幕末の草莽(そうもう)の士清河八郎(1830-63年)の生涯を描く歴史小説。清川村(現庄内町)の造り酒屋の跡継ぎ斎藤元司は、親の反対を押し切り、江戸に出て学問と剣を学ぶ。清河八郎と改名し、自ら塾を開くほどに才能を開花させるが、尊王攘夷(じょうい)を目指す志士たちとの交流を通して、倒幕のさきがけになろうと決意。幕府に働き掛けて組織した浪士組を、倒幕の実行部隊に逆転させる奇抜な策を実現しようとするものの、暗殺される。

(2007年5月10日 山形新聞掲載)

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