【橋ものがたり】 作者自身楽しんで書く
藤沢周平さんは自作のなかでも「橋ものがたり」がお気に入りだったそうだ。ご本人もエッセーにそう書かれているし、娘さんの遠藤展子さんも文芸春秋の編集者との対談でそう語っておられる。
「橋ものがたり」は昭和51(1976)年の3月から翌年12月まで、「週刊小説」に断続的に掲載された。1編50枚ほどの連作小説である。
第1作の「約束」には、いたずらが仕掛けられている。橋上で逢(あ)い、後日の再会を約束するという設定は、放送時間には銭湯の女湯が空になるといわれるほど当たった往年のラジオドラマ「君の名は」と同工だが、それよりも映画好きならばそれと思い当たる古いアメリカ映画がある。
その映画の題名がどうしても思い出せない。ストーリーやラストシーンはありありと思い浮かぶのに、題名が出てこないもどかしさ、口惜(くや)しさ、なさけなさ。ストーリーを説明したら、それは「哀愁」じゃないかと教えてくれた人がいたが、その人も「哀愁のなんとかかもしれない」と記憶があやふやだ。
「約束」の橋は、小名木川にかかる萬年橋である。錺(かざり)職人の幸助は、おさな馴染(なじ)みのお蝶(ちょう)と七ツ半(午後5時)きっかりに萬年橋の上で会う約束をしていた。5年前、住みこみ奉公をしていた幸助に突然会いにきたお蝶が、深川の富ケ岡八幡の寺裏に引っ越すといいにきた。寺裏は岡場所のある界隈(かいわい)で、そこに奉公に行くことは春を売る世界に身を投じることを意味するが、2人はまだそのことに気づいていない。「5年経(た)ったら、2人でまた会おう」と、約束して別れたのだった。
約束の刻限になってもお蝶はあらわれず、幸助は待ちつづける。待っている間に、幸助の5年間の来(こ)し方(かた)が読者に知らされ、待つ身の心の揺らぎがていねいに語られる。
章があらたまると、お蝶が明輩と話している場面が描かれる。5年の間に、お蝶は変わった。両親がそろって病にたおれ、薬代が必要だった。酌取り女として座敷に出るうちに、金のために客と寝るようになる。だから、お蝶は自分を娼婦(しょうふ)のように思い、幸助に会いに行く資格がないと思いこんでいた。
お蝶の境遇を知ると、「ほら、あの映画…」と思い出す読者もいるにちがいない。映画では、女は占領下のきびしい生活にうちひしがれ、友人に誘われて街に立つ女になってしまう。第2次大戦が連合軍の勝利におわり、街が解放されたあとで、男が約束の橋に行くと、女は橋から身投げして自らを裁いたあとだった。腹が立つほど悲しい物語である。
「あの映画…」と思い当たる読者は、「約束」のお蝶の運命にも、悲惨な結末を予想するにちがいない。ところが作者が用意する結末は、まったく予想を裏切るものだった。どうなるかは、読んでいない人のために、書かないでおく。「橋ものがたり」は、藤沢さんの市井小説のなかでも、読者によろこばれた作品である。橋で出会い、別れ、去る登場人物はみな、その日を精いっぱい生きている庶民で、その人々の心情や意地が、こまやかに描き出される。女たちはたいがいつつましやかで、素朴で、どこかにきりっとした強さを秘めている。
「小ぬか雨」の人殺しの逃亡者をかくまうおすみという女も、泉鏡花の描く辰巳(たつみ)芸者のようにお●(きゃん)ではないが、泥の中にしっかり足を踏みしめて立つような強い女である。連作には、人殺し、裏切り、闇の世界の不気味さも描かれるが、それらはいずれも主人公たちを明るく浮き上がらせるための闇でしかない。そして連作のところどころに、古典的なミステリー小説や映画を下敷きにした場面を配置して、読者を喜ばせる。
連作をひとまとめにしていえば、しずかに低い声でうたわれる人間賛歌ということになる。読後の印象が爽(さわ)やかなのは、そのためである。
ところで、この作品を作者が気に入っている理由はなんだろうか。「ちょっといい話」の連発にはおそらく作者も照れるだろうから、人間賛歌が気に入っておられたとは思えない。ただ、執筆しながら、作者が楽しかったのだろうと想像できる。楽しんで書いたという作品が、誰にも1作や2作はあるはずだ。
その楽しみのひとつは、「約束」のような、映画のストーリーのひっくり返しである。メロドラマになると思わせて、ひっくり返すいたずらの仕掛けである。もうひとつは、江戸の裏店(うらだな)の暮らしを丹念に描くことで、作者もその時代の庶民と肩を並べて歩いているような、時間の散歩者の気分にひたることである。そんな気がする。
注・「哀愁」の日本公開は昭和24(1949)年。主演はビビアン・リー。
(作家、山形市)
【橋ものがたり】江戸の市井に生きる庶民の哀歓を描いた10編の連作短編集。橋を仲立ちにして、さまざまな人生が交錯する。暗い情念が前面に出た初期の作品に比べ「優しさ」や「救済」の要素が増し、藤沢文学の変化を示す転機の作品と評価される。
●は、人ベンに峡の旧字体のツクリ
(2007年9月6日 山形新聞掲載)
「橋ものがたり」は昭和51(1976)年の3月から翌年12月まで、「週刊小説」に断続的に掲載された。1編50枚ほどの連作小説である。
第1作の「約束」には、いたずらが仕掛けられている。橋上で逢(あ)い、後日の再会を約束するという設定は、放送時間には銭湯の女湯が空になるといわれるほど当たった往年のラジオドラマ「君の名は」と同工だが、それよりも映画好きならばそれと思い当たる古いアメリカ映画がある。
その映画の題名がどうしても思い出せない。ストーリーやラストシーンはありありと思い浮かぶのに、題名が出てこないもどかしさ、口惜(くや)しさ、なさけなさ。ストーリーを説明したら、それは「哀愁」じゃないかと教えてくれた人がいたが、その人も「哀愁のなんとかかもしれない」と記憶があやふやだ。
「約束」の橋は、小名木川にかかる萬年橋である。錺(かざり)職人の幸助は、おさな馴染(なじ)みのお蝶(ちょう)と七ツ半(午後5時)きっかりに萬年橋の上で会う約束をしていた。5年前、住みこみ奉公をしていた幸助に突然会いにきたお蝶が、深川の富ケ岡八幡の寺裏に引っ越すといいにきた。寺裏は岡場所のある界隈(かいわい)で、そこに奉公に行くことは春を売る世界に身を投じることを意味するが、2人はまだそのことに気づいていない。「5年経(た)ったら、2人でまた会おう」と、約束して別れたのだった。
約束の刻限になってもお蝶はあらわれず、幸助は待ちつづける。待っている間に、幸助の5年間の来(こ)し方(かた)が読者に知らされ、待つ身の心の揺らぎがていねいに語られる。
章があらたまると、お蝶が明輩と話している場面が描かれる。5年の間に、お蝶は変わった。両親がそろって病にたおれ、薬代が必要だった。酌取り女として座敷に出るうちに、金のために客と寝るようになる。だから、お蝶は自分を娼婦(しょうふ)のように思い、幸助に会いに行く資格がないと思いこんでいた。
お蝶の境遇を知ると、「ほら、あの映画…」と思い出す読者もいるにちがいない。映画では、女は占領下のきびしい生活にうちひしがれ、友人に誘われて街に立つ女になってしまう。第2次大戦が連合軍の勝利におわり、街が解放されたあとで、男が約束の橋に行くと、女は橋から身投げして自らを裁いたあとだった。腹が立つほど悲しい物語である。
「あの映画…」と思い当たる読者は、「約束」のお蝶の運命にも、悲惨な結末を予想するにちがいない。ところが作者が用意する結末は、まったく予想を裏切るものだった。どうなるかは、読んでいない人のために、書かないでおく。「橋ものがたり」は、藤沢さんの市井小説のなかでも、読者によろこばれた作品である。橋で出会い、別れ、去る登場人物はみな、その日を精いっぱい生きている庶民で、その人々の心情や意地が、こまやかに描き出される。女たちはたいがいつつましやかで、素朴で、どこかにきりっとした強さを秘めている。
「小ぬか雨」の人殺しの逃亡者をかくまうおすみという女も、泉鏡花の描く辰巳(たつみ)芸者のようにお●(きゃん)ではないが、泥の中にしっかり足を踏みしめて立つような強い女である。連作には、人殺し、裏切り、闇の世界の不気味さも描かれるが、それらはいずれも主人公たちを明るく浮き上がらせるための闇でしかない。そして連作のところどころに、古典的なミステリー小説や映画を下敷きにした場面を配置して、読者を喜ばせる。
連作をひとまとめにしていえば、しずかに低い声でうたわれる人間賛歌ということになる。読後の印象が爽(さわ)やかなのは、そのためである。
ところで、この作品を作者が気に入っている理由はなんだろうか。「ちょっといい話」の連発にはおそらく作者も照れるだろうから、人間賛歌が気に入っておられたとは思えない。ただ、執筆しながら、作者が楽しかったのだろうと想像できる。楽しんで書いたという作品が、誰にも1作や2作はあるはずだ。
その楽しみのひとつは、「約束」のような、映画のストーリーのひっくり返しである。メロドラマになると思わせて、ひっくり返すいたずらの仕掛けである。もうひとつは、江戸の裏店(うらだな)の暮らしを丹念に描くことで、作者もその時代の庶民と肩を並べて歩いているような、時間の散歩者の気分にひたることである。そんな気がする。
注・「哀愁」の日本公開は昭和24(1949)年。主演はビビアン・リー。
(作家、山形市)
【橋ものがたり】江戸の市井に生きる庶民の哀歓を描いた10編の連作短編集。橋を仲立ちにして、さまざまな人生が交錯する。暗い情念が前面に出た初期の作品に比べ「優しさ」や「救済」の要素が増し、藤沢文学の変化を示す転機の作品と評価される。
●は、人ベンに峡の旧字体のツクリ
(2007年9月6日 山形新聞掲載)
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