姿 けれんみない堅実な描写

 「アタリノ空気マデガ清冽ニ透キ徹ッテイルヨウニ見エル」(谷崎潤一郎「鍵」)耳、「指でも触れたら、一緒に皮がむけて来そうな」(志賀直哉「暗夜行路」)赤ん坊の唇、小さな女の子の「こましゃくれて見えた」(平林たい子「鬼子母神」)乳首といった例に出合うとはっとする。感覚的で心理的なこういう描写には、どこか危うい魅力がある。

 藤沢周平の描写は堅実で、けれんみを感じさせない。初期の「溟(くら)い海」に描かれる北斎はこうだ。夕暮れが近づき人の往来がはげしくなったせいで、じっと動かない北斎の大きな躯(からだ)がよけい目立つとして、「手織の粗い紺縞(こんじま)の木綿着」の上に「柿色の袖無袢纏(そでなしばんてん)の色あせたものを羽織」り、と身にまとったものから入り、「肩幅は広く、胸も厚い」と体形を記し、「人なみすぐれて大きい耳と鼻、顎(あご)はがっしりと張って、細い眼に、刺すような光がある」と顔の細部に筆を進める。日の沈みかけた両国橋にたたずんで風景に見入る姿を、あたかもズームレンズのように次第に接近しつつとらえた描写である。そして、それを「見るからに一癖ありげな老人」と一括する。

 場所が違い角度が変われば、同じ人物も別の姿として目に映る。雨の日、自宅で絵筆を執る北斎はこう描かれる。「障子を開け放した庭に向かって、畳の上に背をまるめ、しきりに焼筆(やきふで)を動かしている」と客観的に叙述したあと、「巨大な蟇(がま)が蹲(うずくま)っているように見えた」と比喩(ひゆ)的なイメージで印象を描きとる。北斎を後方からとらえたこの視線は同時に「白菊が花盛りで、その1画だけに冷えた明るさが漂っている」と、その先にある庭を眺める。明るい花を背景にした蟇の後ろ姿だ。

 「用心棒日月抄」の主人公青江又八郎の姿はこんなふうに描く。「長身で、彫りが深い男くさい顔」であり、「痩(や)せて見えるが、肩幅は十分に広く、精悍(せいかん)な身体(からだ)つきをしている」と客観的に概括したあと、「人を斬(き)って国元を出奔し、世を忍んできた月日が、26歳の風貌に若干の苦味」を添えていると主観を加え、印象的にしている。この人物に「まつわりついている一種憂鬱(ゆううつ)げなかげりに気をひかれ」、女たちが振り返るのだという。

 短編連作「橋ものがたり」中の初編「約束」に「石のように表情を失った背だった」という1行が出てくる。ものに感じないさまを「石」のイメージに託す表現は珍しくない。だが、ここは、5年前の約束どおり幸助と再会し、所帯を持とうと言われたお蝶が、「うれしい」とささやいたあと、家の借金のために体を売る境遇に落ちたことを訴え、突然背を向けた場面だ。幸助にとってまさに「表情を失った背」で、その後ろ姿が「おぼろな闇に消える」のを茫然(ぼうぜん)と見送るほかはない。平凡な比喩が文脈の力で読者にしみる瞬間だ。

 「隠し剣孤影抄」の第2話「臆病剣松風」の主人公瓜生新兵衛は不思議な男だ。痩せて顔色も悪く、ちょっとしたことにすぐ怯(おび)え、真っ青になって歯の根もあわない情けなさ。剣の相当な使い手というのが信じられないほどのありさまだが、「青くなるのは、瓜生の性癖に過ぎ」ず、腕は確かだからと警護役に推奨される。若殿が襲われた場面、「2人の刺客の攻撃にさらされて、右に左によろめくように動く」姿が印象的だ。「風に吹かれる葦(あし)のように」頼りないが、「躱(かわ)し、受け流し、弾ねかえし、ことごとく受けて」一歩も退(ひ)かず、その間に腰が「粘りつくように坐り、背は強靱(きょうじん)な構えを見せ」、「1枚の柔軟な壁と化」す。そして最後に、斬りこませては「反転して躱しながら」鮮やかに斬り下げる。

 「三屋清左衛門残日録」の末尾に、杖(つえ)をついて今にも転びそうに傾きながらそろそろと辛抱強く歩いている老人の姿が描かれる。中風をわずらった小心な男が懸命に歩行訓練を始めたのだ。死が訪れたらそれまで生かしてくれた万物に感謝を捧(ささ)げて生を終える。その日まで命をいとおしみ、力を尽くして生き抜く。早春の光の中、見ている方がつらく汗ばむような大塚平八のぶざまな姿から、老主人公はそういう教訓を学び、胸が波打つ。

(早稲田大名誉教授・山梨英和大教授、鶴岡市出身)

(2007年2月8日 山形新聞掲載)

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