心 微妙な感情表現 巧みに

 昔、国語学会の全国大会で講演するはめになって、山形市の中央公民館ホールに入ったら、山形大学の学長が挨拶(あいさつ)で「旬花酒湯」ということばを使った。旬の食材、四季の花、酒、温泉という県の恵みを並べ、春夏秋冬を響かせた造語だ。「花」は「果」でもいい。同窓会誌の求めで「旬花酒湯そして情」と題する小文を寄せた記憶もある。

 東京に住みながら時にはビールの親友としてだだちゃ豆を賞味し、ごくまれに民田茄子(なす)の塩漬けで炊きたての「はえぬき」を過ごすこともある。そういう満ち足りた気持ちをなぜか素直に人に語れない。藤沢周平も「日本海の落日」という短文を、「庄内平野と呼ばれる生まれた土地に行くたびに、私はいくぶん気はずかしい気持で、やはりここが1番いい、と思う」という一文で始め、落日の大観に行き合うと「胸の中では、こんなうつくしい風景がよそにあろうか、とつぶやいていた」といくぶん照れぎみに結んだ。庄内人はどこかにためらいがあって、古里のなつかしさを他人に向かって率直に表現するのが苦手なようだ。

 尾崎一雄は「擬態」で「じんじんと音を立てて沸き上がる怒り」と、激しく蒸気のように吹き上がる憤懣(ふんまん)を体感的に伝え、上林暁は「極楽寺門前」で「不興がいぶる」妻の態度を「ぷすんと黙ったきり」と、「ぶすり」とは違う擬態語の差で描き出した。感情表現にも作家独自の工夫が見られる。藤沢は微妙な心情やその変化、複合感情を巧みに写す。

 「現代名文案内」(ちくま学芸文庫)という著書で、「おぼろ月」と題する藤沢作品を取り上げ、親に逆らったことのない娘が親の意に沿う縁談を受け入れたものの、浮いた噂(うわさ)1つないまま嫁入りするのを何となく物足りなく感じる複雑な心にふれた。偶然出会って親切にしてもらった見知らぬ男と短時間一緒にいるだけで「胸がとどろくよう」ながら、「ちょっぴり得意な気持もまじって」おり、「では行きますか」と男に声をかけられると、誘われたと勘違いして「どこへ」と応じ、赤くなる。そして別れぎわに相手が「あっけなく背を向けた」と感じるほど、「胸の中にほんの少し不逞(ふてい)な気分」が兆す。心理描写の白眉(はくび)と評したが、ここにくりかえすことは控え、別の作品から微妙な感情を扱おう。

 「うしろ姿」は、酔うと誰彼の見境なく家に連れ込んで泊めるという奇癖がもたらす悲喜劇だ。翌朝になると大方の者は「ばつが悪そうに退散する」のに、小柄な汚い婆(ばあ)さんが居ついてしまい、息子が迎えに来ていやいや連れ戻される。縁もない人間に居座られて迷惑に思っていた女房が、その「不満を隠した、淋(さび)しそうな背」を見ながら、息子である亭主を頼って来た姑(しゅうとめ)を邪険に追い返した昔を思い返し、亭主が帰って婆さんが消えたのに驚いても、2人の後ろ姿が似ていたことは言わずにおこうと思うところで作品を閉じる。

 「雪明かり」で、血のつながりのない茶屋勤めの不幸な妹をいたわったことを、養母とその娘である許嫁(いいなずけ)に「理詰めで高圧的」に詰(なじ)られ、内部で出口を求めて荒れ狂う苛立(いらだ)ちを描く。35石の実家から280石の家に養子に入った身分では反論しても自分がみじめになるだけと思う憤懣が、その場にふさわしくない哄笑(こうしょう)となって噴き出すのだ。あまりに不謹慎な反応に、相手も思わず笑い出すが、「笑いやんだあとに、寒ざむとした沈黙が訪れ」、「女2人は猜疑心(さいぎしん)と軽侮を、菊四郎は屈辱と自嘲(じちょう)を」取り戻すのである。

 「橋ものがたり」の「約束」では、茶屋奉公に出ることになったと幼なじみに別れを告げに来た娘が、相手の表情から、いかがわしい店かと心配していることを察し、急に「顔を赤らめて早口に」なるところや、そのやりとりで「話の接ぎ穂を失い、ぎこちなくおし黙っ」てしまう若い2人の別れなど、ことばにできない心が表現されて、感じがある。

 「驟(はし)り雨」は、身ごもった女房が病死してから盗人になりはてた研ぎ師の嘉吉が、ある夜これから忍び込む大店(おおだな)のようすを探りながら八幡神社の軒先で雨宿りをしている場面で始まる。すぐ近くで人殺しを目撃しても、殺された人間に同情する気など起きず、「ひとの稼業のじゃましやがって」と腹を立てる。そこに腹を空(す)かせた幼女が病気の母親を介抱しながらやって来る。粗末な身なりの親子は一休みしてのろのろ歩き出すが、弱った母親がよろめいて地面に膝(ひざ)をつく。と、思わず嘉吉が飛び出して助け起こし、「その女を背負い、片手に子供の手を引いて」歩き出す。さっきまでよその家に忍び込むつもりで息を殺していたことなど嘉吉には信じられない。人の心に残る善意を描く藤沢作品の結びにふさわしい。

 「三屋清左衛門残日録」でも、隠居とともに悠悠自適への解放感がわくはずだったのに、実際に襲ってきたのは「世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だった」と書く。定年退職したばかりの身には、その「奇妙な気持ちの萎縮(いしゅく)」が痛いほどよくわかって困っている。

(早稲田大名誉教授・山梨英和大教授、鶴岡市出身)

(2007年5月17日 山形新聞掲載)

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