食 懐かしい郷土の季節感

 作家の小沼丹さんが英国滞在中に、庄野潤三の手紙に悩まされたと聞く。小説で読者の口に唾液(だえき)がわくほど食べ物をうまそうに描写するこの作家は、手紙でも同じらしく、鰻屋(うなぎや)に行った話などを読みながら、小沼さんは店の前で鰻の匂(にお)いを嗅(か)がされている気分になり、「白焼は芸術品」というくだりで、すぐ帰国したくて溜(た)め息が出たという。その庄野さんが「山田さんの鈴虫」に「愛用している山形の酒の『初孫』を飲む」と書いている。

 藤沢周平の作品の場合、酒の味についてはあまり言及がないが、食べ物のほうは「三屋清左衛門残日録」だけでも種類が多く記述も具体的だ。「蕗(ふき)のとうの味噌(みそ)はちょっぴりほろにがい独特の風味が珍重される」と早春の味覚にふれる。夏風邪をひいて食欲の衰えた清左衛門のために、息子の嫁の里江が「蕪(かぶ)の酢の物、小茄子(こなす)の浅漬け、金頭(かながしら)の味噌汁、梅干しをそえた白粥(しらかゆ)」を載せた膳(ぜん)を運んで来る。藤沢周平の生家近くの民田(みんでん)でとれる小茄子の塩漬けを氷水に浮かせた一品を、東京で夏の風物詩のように思い出すこともある。

 涌井(わくい)という小料理屋では「三屋さまのお好きな風呂吹き大根」も出るし、その清左衛門のわきで、奉行の佐伯が「この赤蕪がうまいな」と漬物に手を出す。当然地元の温海かぶらだろう。これは今、東京でも手に入る。涌井のおかみが「このあたりでクチボソと呼ぶマガレイの焼いた」のを膳に配る場面もある。

 朝日新聞社の週刊「藤沢周平の世界」に「海坂(うなさか)藩の食卓」を連載中の鶴岡の老舗旅館坂本屋の主人石塚亮氏によれば、旧庄内藩主酒井家17代の当主忠明(ただあきら)氏は、この鰈(かれい)と鱒(ます)は素焼きにして醤油(しょうゆ)をかけるのを好んだという。佐伯が「ハタハタがそろそろじゃないのか」と問いかけると、清左衛門は「みぞれが降るころにならんと、海から上がらぬ」と説明し、なめこ汁をすする秋の宵だ。おかみが「まだ足を動かしている蟹(かに)」を「茹(ゆ)でますか、それとも味噌汁になさいますか」と尋ね、清左衛門が「味噌汁の方が野趣があっていい」と答えるのは晩秋に近い季節だろうか。

 小鯛(こだい)のうまいのが入ったばかりなので、それの塩焼きはどうかと、涌井のおかみが清左衛門に勧めることもある。ここの「小鯛」は小ぶりの鯛ではなく、真鯛のように大きくならない「血鯛」「花鯛」などと呼ばれる種類をさし、真鯛の子である「鯛子(たいこ)」よりやわらかくて味がよいとされる。あるときは「豆腐のあんかけ、山菜のこごみの味噌和(あ)え、賽(さい)の目に切った生揚げを一緒に煮た筍(たけのこ)の味噌汁、山ごぼうの味噌漬け」が運ばれて来、作中に「筍の味噌汁には、酒粕(さけかす)を使うのが土地の慣わし」という説明もある。小学生の時分、遠足で金峰山(きんぼうさん)に登ると、きまって寺で孟宗汁(もうそうじる)をふるまわれた。あのうまさは忘れることができない。なお、こごみは味も香も淡泊なので、和えものには胡桃(くるみ)が合うそうだ。

 ある日の涌井は「鱒の焼き魚にはたはたの湯上げ」という豪華版であり、「茸(きのこ)はしめじで、風呂吹き大根との取り合わせが絶妙」とある。そこに「小皿に無造作に盛った茗荷(みょうが)の梅酢漬け」も添えられる。「はたはたは、田楽にして焼いて喰べるのもうまいが、今夜のように大量に茹でて、大根おろしをそえた醤油味で喰べる喰べ方も珍重されている」という解説や、「ぶりこと呼ばれるはたはたのたまごを噛(か)む音」の描写もあって、冬に向かう季節感をかきたてる。「今度は鱈汁(たらじる)などを用意いたしましょう」という涌井のおかみの声に送られて、「みぞれが降るような寒い日に来て、熱い鱈汁で一杯やるか」と客は上機嫌で店を出る。寒鱈の身だけでなく内臓も胴殻(どうがら)もみな入れるので「ドンガラ汁」という名で親しまれ、その味噌味の濃厚な旨味(うまみ)と熱燗(あつかん)の酒で、雪国の寒さをしのいできたのだろう。

 この作品以外にもさまざまな味の楽しみが語られる。「凶刃」には「醤油の実」が登場し、「醤油のしぼり滓(かす)に糀(こうじ)と塩を加え直して発酵させ熟成したもの」という説明がついているほか、身欠き鰊(にしん)の煮物、鶴岡でカラゲと呼ぶエイの干物の甘辛煮、干し若布(わかめ)入りの味噌汁、山の雪どけのころに出る山菜ぜんまいの煮物、茗荷の紫蘇(しそ)漬け、餡(あん)かけ豆腐などが出てくる。「三ノ丸広場下城どき」には「里芋とこんにゃくの煮つけ、ほっけの塩引き」が出、「醤油とおかかの味がよくしみたこんにゃく」という説明がつく。

 「孤剣」には「大根の味噌汁に冷や飯を炊きこんだ、故郷ではおなじみの雑炊」、「風の果て」には里芋や干しぜんまいの煮付け、「まぼろしの橋」には蕗の煮つけ、「ど忘れ万六」には塩引(しよんび)きの鮭(さけ)、鮒(ふな)の甘露煮、菊の花の酢の物が出るし、「祝(ほ)い人(と)助八」には「棒鱈(ぼうだら)と呼ぶ鱈の干物」、「蝉しぐれ」には「青菜(せいさい)のゴマ和え」が登場する。「よろずや平四郎活人剣」には焼きたての芋田楽が出、焼いた油揚げに醤油をかけると「いい匂いを立てた」とある。当時も葱(ねぎ)か生姜(しようが)をそえたのだろうか。今でも手軽な酒のさかなにぴったりだ。

 庄野さんが「薄(すすき)の穂が光っていた」「赤くなった烏瓜(からすうり)」といった表現を作中に季語としてはさんだように、藤沢さんの味の描写はなつかしい郷土の季節感を喚(よ)び起こす。

(早稲田大名誉教授・山梨英和大教授、鶴岡市出身)

(2007年6月14日 山形新聞掲載)

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