顔 複雑な現実 映す描写

 「うどんのような綟(よ)れたかお」(室生犀星「愛猫抄」)もあれば、「薩摩芋(さつまいも)のようにいびつに赤肥(あかぶと)りした大きな顔」(上林暁「薔薇盗人」)もある。「舐(な)めまわすような、疑(うたぐ)りぶかい湿った眼(め)」(吉行淳之介「原色の街」)があり、「アタリの空気マデガ清冽(せいれつ)ニ透キ徹(とお)ッテ見エル」(谷崎潤一郎「鍵」)白くて美しい耳があり、「眼、口、其他(そのた)の諸先生と何等の相談もなく出来上った」(夏目漱石「吾輩は猫である」)ばかでかい鼻もある。「陰気なおそろしいえくぼ」(幸田文「流れる」)があり、「指でも触れたら、一緒に皮がむけて来そうな唇」(志賀直哉「暗夜行路」)があり、貝のような形のいい顎(あご)が「ふくふくとうごく」(中勘助「銀の匙(さじ)」)こともある。人物描写にも作家の個性が反映し、独特の文体を形づくる。川端康成は「雪国」で、「雪に浮ぶ女の髪もあざやかな紫光りの黒を強めた」と、鏡をのぞくヒロイン駒子を、そこに映る自然を背景に描き出した。

 藤沢周平の描写には読者がはっとするほど感覚的に生々しい例は少ない。「山桜」で、「眼は男にしてはやさしすぎるほど、おだやかな光をたたえている」と、手塚弥一郎のまなざしを、粗暴なところのないその人物の性格と結びつけ、また、桜の花から「野江に、問いかけるように移した眼はやさしかった」と、手塚の母の心理を映す表情として描く。

 女湯をのぞく芳平は「しわだらけの顔」で「赤くてらてらして猿に似ている」(「失踪(しっそう)」)し、「おそろしく頑固」な嘉兵衛は「●骨(ほおぼね)が出た馬のように長いごつごつした顔」(「娘ごころ」)であり、「犯罪の匂(にお)いを嗅(か)いで回る」密告者の磯六が「額が狭く、落ち窪(おちくぼ)んだ眼に蛇の眼の光を沈めている」(「密告」)など、皆それなりの顔をしている。

 が、主人公は顔も姿もよく、悪役は一目でそれとわかる憎たらしい顔つきで登場する通俗的なドラマとは違って、「凄腕(すごうで)の岡(おか)っ引(ぴき)」として恐れられた「黒い縄」の治兵衛は「●の豊かな円顔(まるがお)は艶(つや)があって、表情は商人のようにもの柔か」だし、「三ノ丸広場下城どき」にも「色白でやや軽薄な感じをあたえる男だが、実際にはいわゆる切れ者」とある。人はしばしば見かけによらない。人それぞれにいろいろな面をもっている。人間離れした英雄や根っからの悪人を描かない藤沢作品では、人物描写も当然そういう複雑な現実を映し出す。

 「紅の記億」の香崎左門は「肉の厚い丸顔」だが、「眼がぎろりと大きいあたりに、藩政を左右すると言われる才人らしい面影」があるし、「よろずや平四郎活人剣」に出てくる煮豆屋のおやじは、その商売には「似つかわしくない、色白の品のいい顔に、てこでも動かないかたくなないろがうかんでいる」。こんなふうに役柄と外貌(がいぼう)の一致しない点、あるいは容貌の中の不釣り合いな点を描き込むことで、登場人物の画一化を防ぎ、通俗性を脱却する例も多い。

 最初にふれた手塚のやさしいまなざしも、「長身で幅広い肩」という肉体的特徴との軽い違和感をにじませる。「濡(ぬ)れているような赤い唇をし」「鼻筋がとおって、女のように華奢(きゃしゃ)な細面だが、眼に尋常でない光が隠されている」という「溟(くら)い海」の鎌次郎もそうだし、「浅黒い顔に眼鼻がきりっとした男ぶりのいい若者」が「顔色が少し青ざめ、疲れた眼をしている」という「小ぬか雨」の例も同様だ。

 「吹く風は秋」には「色白でおとなしそうな顔をした女だったが、弥平の袖をにぎった手は、てこでもうごかない力がこめられていた」とある。「怠け者」の旦那(だんな)は「商人には不似合いな」「巾着(きんちゃく)切りのような」「けわしい眼をした色の黒い小男なのに、おかみの方は、色白でふっくらとした大柄な女」で、そんな「旦那には釣りあわない、おっとりした品がにじみ出て」おり、「顔立ちも娘のように若わかしい」。顔も真っ黒で、物言いも男の子のようだった「女難剣雷切り」のおさとも、1年後には「顔は浅黒いなりに内側からかがやくように滑らかなひかりを帯び、物言いも立ち居もいつの間にか女らしく」なっている。人は一色ではないし、時とともに変化する。世間も単純に色分けされていない。

 「おとくの神」では、亭主よりも背丈があり、腕などはその倍もあって強そうに見える大女のおとくが、「眉(まゆ)が垂れて眼が細く、口はおちょぼ口」で、「まるで娘のようなかわいらしい小声でしゃべる」。「おふく」のおふくは「笑いを含んだような細い眼」だが、同じ細い目をしていても、「黒い縄」のおしのの表情には「愁いのような翳(かげ)」がある。黒目だけしか見えない細い眼をした」「幼い声」のおきみは「男を刺して牢(ろう)に入っ」ているし、同じく「黒目しか見えない眼」をした「冬の日」の飲み屋の女は「ひっそりした色気を感じさせる」。

 「鬼」のサチは「髪はちぢれた赤毛」で「唇はそり返ったように大き」く、「円い眼に太い眉毛が迫って」「鬼を連想させる」ほど「並はずれて不器量」だが、それでも「鼻だけはちんまりとかわいい」。それが救いであり、この作家の優しさでもある。善玉も悪玉も美玉(びだま)も醜玉(しゅうだま)もない。どこか矛盾感を抱えた数々のそんな描写が作品に現実味を添える。

(早稲田大名誉教授・山梨英和大教授、鶴岡市出身)

●は、順の川が峡の旧字体のツクリ

(2007年7月12日 山形新聞掲載)

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