療養生活 青春のロマンス、句作に

 昭和24年の春、山形師範学校(現山形大)を卒業した藤沢周平さん(当時の小菅留治君)は、小菅先生として郷里の黄金村(現鶴岡市)とは丘1つ隔てた湯田川中学校に赴任した。若き小菅先生が、だれに対しても公平に優しく公平にきびしく、生徒たちからいかに慕われる教師であったかについては当時の教え子たちによる多くの証言がある。

 しかし、間もなく長い不運の時代がやってくる。教職満2年めの昭和26年3月、教職員対象の集団検診で肺結核が発見されたのである。当然ながら休職を余儀なくされた。休職2年後には東京都の結核専門の療養所(篠田病院林間荘)に入院し、その先の右肺上葉切除手術を挟んで、藤沢さんの療養生活は24歳の春から30歳の秋口までの6年間に及ぶ。しかし、藤沢さんはこの時期をよく堪え、しなやかに乗り切った。「あの時期はけっこう贅沢(ぜいたく)な時間だったかもしれないな。本を読むに不自由はなかったし、まわりには話のわかる仲間がいたし、下手な俳句を作ったり囲碁を覚えたりしたのもあそこでだった」とは、後年、作家となった藤沢さんと再会した先の何かの雑談の折に聞いた覚えのある言葉である。

 「下手な」は座談中のさりげない謙辞として、藤沢さんが俳句に没頭精進したのはこの時期である。藤沢時代小説の舞台として今や周知の「海坂藩」なる架空の藩名が、当時句作の精進の場とした俳誌「海坂」に拠(よ)ることは作家自身語るところだが、その藤沢作品に抑制された詩情が底流することは前回述べた。もちろん、詩情は天性の賜物(たまもの)だろうが、この時期の俳句への精進がその詩的感性にいっそうの磨きをかけ、その感性を作家藤沢周平の素地に深く沈潜させたであろうことはほぼ疑いがない。

 しかし、遺(のこ)された句作は意外に少ない。没後に刊行された「藤沢周平句集」に収録されるのは、秀句揃(ぞろ)いながら111句にとどまる。そしてそれらの多くが、たとえば「風出でゝ雨后の若葉の照りに照る」「天の藍流して秋の川鳴れり」のごとき自然詠によって占められるのは俳句の常道というものだろうが、通読してふと胸を打たれるのは、それらの間に散見される次のごとき句が目にとまったときである。

 「桐咲くや掌触るゝのみの病者の愛」「汝(な)を帰す胸に木枯鳴りとよむ」「汝が去るは正しと言ひて地に咳くも」

 右の3句は前出の「藤沢周平句集」には、それぞれ間を置いてばらばらに配列されるからあたかも隠し絵のように目立たない。しかしこのように3句を並べてみると、かなりはっきりした1つの絵柄が見えてくる。-山形師範時代、同人誌時代の藤沢さんに、郷里に〈好きな女性(ひと)〉がいたらしいことは前回触れた。その上で右の3句が描き出す絵柄に気がつけば、それらが学生時代以来のロマンスと結びつくことは容易に想像できる。

 郷里に近い学校に赴任した藤沢さんは、〈好きな女性〉への愛をいっそう深めたことだろう。おのずから2人の関係は結婚にゆきつくはずだった。しかしその最中に不幸な肺結核が発見される。しかも容易に治癒の見込みは立たず、闘病・療養生活は長きに及ぶ。戦後間もない東北の農村地帯で、治癒の見通しも覚束(おぼつか)ない結核患者は明らかに結婚不適格者だった。藤沢さんの恋人は家族・肉親の強い反対に苦しんだにちがいない。苦しみながらその間も彼女は、庄内からは遠い東京の療養所まで何度も会いにきている。-「桐咲くや掌触るゝのみの病者の愛」「汝を帰す胸に木枯鳴りとよむ」

 しかし余儀ない別れの日がやってくる。-「汝が去るは正しと言ひて地に咳くも」

 生前の藤沢さんは、この愛について人に語ることはついにしなかった。しかしそれは今やかならずしも秘事ではない。藤沢さんはある日、青春のさなかの「大失恋」に悩む愛娘(まなむすめ)展子さんをさりげなく散歩に誘い出し、喫茶店に座って自分自身の若き日の愛とその断念について語ったという。そして遺された展子さんはそのことを1冊の本の中で率直に書いている(「遠藤展子「藤沢周平 父の周辺」)。父と娘の向かい合うしみじみとした風景だが、それを描く展子さんの文章はいかにも淡々としていて、藤沢さんの静かな語り口をよく伝えている。

 しかし遺された3つの俳句は、空にかかる虹の断片のように藤沢さんの秘められた青春のロマンスをうかがわせて哀切である。-やがてこの思いは俳句という短詩型から溢(あふ)れて小説の世界(たとえば「白き瓶」)に微妙な影を落とすことになるはずである。

(宮城学院女子大名誉教授、長井市出身)

(2007年3月15日 山形新聞掲載)

生涯の追憶

文字サイズ変更
  • 小
  • 中
  • 大

県内7市発行メールマガジン登録無料

ふるさとだより

3月30日配信。登録はコチラ

ニュース特集

スポーツ

教育・子育て

おでかけ

暮らし情報

twitter発信中

山形新聞からお知らせ

  1. 【2017年8大事業】
     山形新聞、山形放送の2017年の8大事業が決まりました。詳しくは、こちらから
  2. 【やましん公式FB】
     山形新聞社は、インターネット交流サイト「フェイスブック(FB)」の公式ページを新設しました。
     公式ページでは山形新聞のニュースのほか、本社からのお知らせなどを中心に紹介します。
     アドレスは、こちらから
  3. 【やましんe聞で動画視聴】
     読者限定の電子版「やましんe聞」で動画を閲覧できる新サービスを始めました。詳しくは、こちらから。
  4. ◆中学、高校の各種スポーツ大会の記録を紹介。検索機能も備えています。アクセス方法はこちら
  5. ◆探したい記事がきっと見つかる、山形新聞記事データベース。他社DB横断検索が便利な日経テレコンジー・サーチファクティバ
  6. ◆県外でも今日の朝刊が朝一で読める「お届け電子版
  7. ◆ニュース速報、高校野球、モンテ情報、おくやみ… 身近な情報を携帯で確認「モバイルやましん
  8. ◆故郷の話題をメールでお届け、ふるさとメール会員募集(登録無料)
山形新聞から
販売から