転機の「用心棒日月抄」 読む愉しみを提供する

 「オール読物」新人賞受賞(「溟(くら)い海」)から5年後、直木賞受賞(「暗殺の年輪」)から3年後の昭和51年は、藤沢文学の「転機」を画する年になった。一口で言えば、暗い情念を吐露する小説から、明るさと救いのある小説への転換。-作者自身当時を顧みて、51年9月に連載が始まった「用心棒日月抄」を「転機の作物」として挙げている(「転機の作物」)。

 -実際、「用心棒日月抄」は、明るく爽(さわ)やかな小説だった。国家老の陰謀を知った青江又八郎は数奇な巡り合わせに逐(お)われて単身江戸に逃れる。その先で青江は用心棒稼業で日々をしのぎながら、陰謀を企む国許(くにもと)の家老から次々と派遣される討っ手と闘い、その合間に用心棒稼業の相棒細谷源太夫と軽妙かつ親密な交わりを結ぶ。やがてこの2人は折からの赤穂浪士の仇(あだ)討ち事件に間接ながらかかわってゆく……。

 要するにここには、初期作品に目立った私小説的情念の吐露は影を潜め、かわって時代小説的技法の丹念な積み重ねがある。この小説には、「ユーモアの要素」を自覚的に採り入れたという作者自身のコメントもあり、その結果、「用心棒日月抄」は、読者に〈読む愉(たの)しみ〉を提供する最も上質のエンターテインメントとして仕上がっている。

 一方でそれとは別に「用心棒日月抄」の連載開始より半年前の51年3月から連載された「橋ものがたり」という連作短編集がある。その第1作「約束」にも、目立たないながら確かな転換の徴(しるし)を読みとることができる。この短編は、「男女の愛は別離で終わる」(「転機の作物」)のを常としたそれまでの小説とは対照的に、別離で終わりそうな男女の愛が、互いの、とくに男の〈優しさ〉によって救済される仕組みになっているからである。こういう仕組みには「死んで物語が終わる」(同)ことを習いとした武士が、用心棒稼業の中で明るく爽やかに-いわばしなやかに〈勁(つよ)く〉生き抜く物語の構造との暗黙の対応を見ることができる。

 〈優しさ〉によって救済される男女の物語と、不運な用心棒暮らしにめげず、明るく〈勁く〉生きる武士の物語と、それらが相応じて、初期の暗い情念からの回復の転機を画していることは偶然ではない。人に対するこの上ない〈優しさ〉と、不遇・非運に堪(た)え抜くしなやかな〈勁さ〉と、それこそがこの作家に固有の美質だったことは疑いない。こういう作家が、いかなる鬱屈(うっくつ)を抱えるにせよ、いつまでもそれに固執するのはふさわしくなかった。「転機」が訪れるのは必然だった。

 さらに言えば、この作家に固有の〈優しさ〉と〈勁さ〉を言うためには、あえて「橋ものがたり」を引き合いに出すまでもなく「用心棒日月抄」だけでも十分だった。たとえば、同じ長屋住まいのよしみとは言え、ひょんな絡みで侍に命を狙われる羽目になった夜鷹(よたか)(夜の辻(つじ)に立つ私娼(ししょう))の用心棒まで引き受ける青江又八郎は、か弱い隣人に対してこの上なく〈優しい〉武士である。不運にめげないしなやかな〈勁さ〉とともに、人に対する限りない〈優しさ〉を併せ持つ武士である。つまり、「用心棒日月抄」の主人公は、暗い情念を吐露した〈私小説〉ふうの初期作品の主人公たちとは全く面目を異にしながら、彼もまた、紛れもなく作者の分身だということだ。

 いっぽう、当時を顧みて、そのころ漸(ようや)く「職業作家として物語にむかう決心をつけた」(同)と作者みずから語る言葉もある。ここで言う「決心」とは、これからは自己内面の表白は極力抑制して、読者に〈読む愉しみ〉を提供する小説を書いてゆこうという「決心」のことにほかなるまい。そして「用心棒日月抄」こそ、まさにこういう「決心」の具体化、その実現だった。その結果、この小説は極上のエンターテインメントとして仕上り、たちまち読者大衆の好評を呼んで、時代小説作家藤沢周平の名声を一挙に高からしめた。

 にもかかわらず、こういう小説にも作者の個性、その精神的血脈が通底していることは上述のとおりだが、それはともあれ、この年昭和51年あたりを境に、藤沢文学はにわかに広やかな世界に展開される。短編・中編の多作はすでに数年来の傾向だったが、上述の「橋ものがたり」「用心棒日月抄」の連載開始にとどまらず、中期の傑作「隠し剣シリーズ」の連載が始まるのもこの年10月からである。翌52年ともなれば、ここでも多数の短編は措(お)くとして、「春秋山伏記」「回天の門」「一茶」と、力作長編3作がほぼ時を同じくして起稿される。

 それらに展開されるのは、暗い情念の色一色に染め上げられた初期作品群とは明らかに趣の違う、より多様な、より伸びやかな文学世界だった。そしてその先には、たとえば「蝉しぐれ」によって代表される藤沢文学の頂点が見えている。

(宮城学院女子大名誉教授、長井市出身)

(2007年7月19日 山形新聞掲載)

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