多忙な日々 無名時代の縁も大切に

 昭和51年の「用心棒日月抄」の連載開始の前後から、藤沢文学がにわかに伸びやかな風景に広がりだすことについては前回に述べた。

 -私が往年の小菅留治君、当時の流行作家藤沢周平氏と再会したのはちょうどそういう時期だった。昭和52年5月、藤沢さんが某出版社主催の文芸講演会のために来仙されたのである。講演会場は仙台市民会館、藤沢さんに同行したもう1人の講演者は、「木枯し紋次郎」で知られる笹沢左保氏だったと記憶する。藤沢さんの演題は確か「歴史と小説」。ほぼ満員の聴衆を前に淡々とした語り口だったが、演壇の藤沢さんの姿に山形師範学校学生時代の小菅君の面影が重なった。

 しかし楽しみはその先にあった。この夕べのために居酒屋に毛が生えた程度の小座敷を用意しておいたからである。山形市からは松坂俊夫君(当時山形女子短大助教授)がかけつけていたし、また神奈川から藤沢さんを追っかけてきた同人雑誌「碎氷船」時代の古い友だちもいた。楽しい一夜になった。小説は別として、藤沢さんのエッセーにはコーヒーと郷里の食べ物の話はよく出てくるが、酒の話は読んだ覚えがない。しかしこの夜は酒飲みの古い仲間につきあってほどほどに酒も飲まれた。折から50代にさしかかったばかりの藤沢さんの、体力・気力ともに最も充実していた時期だったことは、この後10年の作品歴にも明らかである。

 この宵、神奈川から追っかけてきた元同級生の阿曽●二は、今や世に高名な作家藤沢周平氏にたいして「おい小菅よ、あのころのお前さんはなあ…」と呼びかけ、いっぽうにこやかにそれに応じる藤沢さんの受け答えが、一座の空気をたちまち30年前に引き戻した。おのずから学生時代を懐かしむ会話が弾み、昔を語り、今を語る会話が盛り上がった先で、松坂君が作家に揮毫(きごう)を求める色紙を取り出した。

 藤沢さんはそれをさらりと受けとめて、店から硯(すずり)と筆を借り受け、5枚の色紙(その席には5人の山形師範同窓生がいた)に自作の一句を一気に認(したた)めた。「軒を出て犬寒月に照らされる」。この句が藤沢さんの俳句修業時代の自信作だったことはよく知られている。-繰りかえしていうが、まことに心楽しき夕べだった。藤沢さんも喜んでくれたとみえて後年のエッセー(「山峡の道」)に、この一夜を懐かしげにふり返った一節がある。

 ともあれ、この夜を機会に藤沢さんとの旧縁が復活した。もっとも私は阿曽●二よりは些(いささ)か遠慮深かったから、原稿の締め切りに追われる流行作家の自宅を気軽に訪問したり、夜分に電話をかけたりすることは慎んだ。再会の一夜から12年後に神奈川県海老名市で急逝した阿曽●二の葬儀の席を含めて、再会後の藤沢さんとの対面の機会は前後4、5回にとどまる。おのずから作家藤沢周平氏との晩年までの付き合いは、新刊のたびごとに著書を送られたり、その返礼を兼ねた手紙や葉書(はがき)の交わし合いが主になる。その間それぞれの思い出はあるが、それらについては別に書いたことがあるから割愛する。

 ただ、この機会に「藤沢周平全集」第25巻所収の書簡集について一言触れておきたい。そこに収められるのは殆(ほとん)ど文壇登場以後のものだが、歌人長塚節の生涯を描く「白き瓶」の執筆・改稿にかかわる清水房雄氏(歌人・長塚節研究家)との間の多数の書簡を唯一の例外として、また旅先からの夫人宛(あて)の手紙1通を特別のものとして、その他のすべてが湯田川中学時代の教え子や、郷里ゆかりの人々、また古い友人に宛てたものであることが、この書簡集の目立った持色になっている。

 もっともこの書簡集は、作家没後に全集補巻の編纂(へんさん)にあたった担当者が作家ゆかりの人々に声をかけて収集したものに限られるのだが、それにしてもこの作家が、例えば昭和50年代から60年代、作家としての執筆活動が最も多忙を極めた時期にも、教え子をはじめ、無名時代の旧縁につながる人々宛に、長い手紙や心温まる葉書を最もたびたび書いていることは間違いないだろう。

 中でも圧巻は、作家の郷里で発行される同人誌「荘内文学」の編集同人堀司朗氏に宛てた長文の手紙である。地方の同人誌掲載の各作品についてこまやかな感想・批評を綴(つづ)って、字数6000字を超えるこの手紙の日付は平成2年6月21日である。平成2年といえば、そのころからやや執筆量は少なくなったにせよ、「用心棒日月抄」シリーズの最終巻「凶刃」や「秘太刀馬の骨」の連載をはじめ創作活動に切れ目はなく、しかも幾つかの文学賞の選者を兼ねる多忙な日々だったはずである。その中で地縁につながる同人誌のためにこういう手紙を書く。

 これらの手紙にせよ、例えば阿曽●二や私のような古い友達に対する付き合いぶりにせよ、それが藤沢周平という作家の人柄というものだった。

(宮城学院女子大名誉教授、長井市出身)

●は、人ベンに光

(2007年8月16日 山形新聞掲載)

生涯の追憶

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