実りの時期 意識して書かれた絶筆

 昭和60年代、藤沢さんの体力と創作力は最も充実していた。世評高い「蝉しぐれ」や「三屋清左衛門残日録」、また「たそがれ清兵衛」など一連の連作短編が書かれたのもこの時期だった。それらと並行して、江戸中期の学者・政治家新井白石を主人公とする長編「市塵」が雑誌「小説現代」に連載されている。この小説は、多数の読者に〈読む愉(たの)しみ〉を堪能させる時代小説とは趣を異にする重厚緻密(ちみつ)な歴史小説で、刊行直後の平成2年に芸術選奨文部大臣賞を受賞している。先に吉川英治文学賞を受賞した前作「白き瓶」とともに、藤沢歴史小説の白眉(はくび)とされる秀作である。

 性剛直にして狷介(けんかい)、いったん政権の中枢に参画しながら、将軍代替わりにあたって下野するや、市井に身をひそめて孤高の著述に没頭するこの主人公の姿に、温和端正な藤沢さんのいかなる内面が共鳴しているか、今それを考える紙幅はないが、思うべきはこの作者の歴史小説に対する熱意である。時代小説作家としての名声のかげにともすれば見過ごされがちだが、藤沢さんの歴史小説は文壇登場後間もない時期の「檻車墨河(かんしゃぼくが)を渡る」(昭和50年刊、後に「雲奔る」と改題)以来、一方の時代小説と並行しながら一貫した系譜をなしている。-藤沢さんの最後の力作が、米沢藩中興の祖とされる上杉鷹山の生涯を描く「漆の実のみのる国」となったのは偶然ではなかった。

 「文芸春秋」誌上に「漆の実のみのる国」の連載が始まったのは平成5年1月からである。前年の6月以来、「藤沢周平全集」の刊行が開始され、まさに藤沢文学の実りの時期だった。

 しかし、そのころ藤沢さんの健康は徐々に損なわれつつあった。平成2年12月、学生時代以来の共通の友人阿曽●二(本稿第8回に既出)が神奈川県海老名市で病死した。その葬儀の席に藤沢さんが、住んでいた東京・大泉学園からわざわざ足を運んだ。寄り添うように和子夫人が付き添っていた。その日は葬儀の前後の短い立ち話しかできなかったが、「近ごろは体のあちこちにガタがきて1人では電車にも乗れないんだ」と苦笑しながら、和子夫人に支えられるようにして帰られた。その後ろ姿を見送りながら、藤沢さんの健康をひそかに案じたことをよく覚えている。

 「漆の実のみのる国」は、こういう体調の先で書き起こされた作品だった。にもかかわらず連載開始以来2年余りは1度の休載もなく、文章にも物語の運びにも体調の衰えなど微塵(みじん)も感じさせなかった。毎月の雑誌で読み継ぎながら愁眉(しゅうび)を開く思いがあった。

 しかしその間にも藤沢さんの病状は確実に進行していたのである。平成7年の3月以来休載が再度に及び、入退院が繰り返される重症の肝炎だった。それでも藤沢さんはこの小説の完成を期していた。平成8年の3月以来3カ月半に及ぶ入院生活からの退院直後、7月7日付の葉書(はがき)に次の文言がある。-「仕事は『漆の実』など2、3残っていますが年内に片づけばいいぐらいの気分で、のんびり構えています。『漆の実』はあと2、3回というところです」

 しかし、藤沢さんの病気は「あと2、3回」の体力を残さなかった。退院後も症状は次第に悪化し、9月下旬最後の入院を余儀なくされる。「あと2、3回」のはずだった「漆の実のみのる国」の終段が、原稿用紙6枚足らずの最終章に圧縮されたのは、この入院の直前だったという。「これを文春の編集者に」と夫人に手渡す藤沢さんの言い置きはこの上なく平静で、再起を疑う気配などは微塵もなかったとは、和子夫人から直(じか)にうかがった話である。しかし「漆の実のみのる国」の最終章、2000字余りの文章は、藤沢さんがひそかに意識して書かれた絶筆だったにちがいない。それからほぼ5カ月後の平成9年1月26日、藤沢さんはご家族に見守られながら静かに息を引き取られた。

 藤沢さんの墓は東京都郊外の都営八王子霊園の一隅にある。広い芝生の上に同型同規模の小型の墓が整然と並ぶ共同墓園の一郭で、碑面には「小菅家」の3文字があるのみである。裏面の墓誌には「藤沢院周徳留信居士」の戒名こそあれ、それと知って詣でる人のほか、ここに昭和・平成の大作家藤沢周平の霊が眠ると気付く人は稀(まれ)だろう。管見のかぎりだが、作家自身の名を碑面に刻まない有名作家の墓を他に知らない。

 もっともこの墓は作家生前に、若くして死んだ先の妻の骨を納めるために藤沢さん自身が建てた墓であるからには、この慎(つつ)ましさはそれなりに自然で、作家藤沢周平の墓は別に建てられてもいいのだろう。しかし先年この墓に詣でたときは、終生〈普通の人々〉と背丈を同じくして生きようとされたこの作家には、この目立たない墓こそがいかにもふさわしいのかもしれないと、その思いをことさらに、深くしたものだった。

(宮城学院女子大名誉教授、長井市出身)

●は、人ベンに光

(2007年12月20日 山形新聞掲載)

生涯の追憶

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