藤沢周平と庄内

【春秋山伏記】 櫛引町の赤川

「この村には、山は三方から迫っていた。うしろは月山の深い山懐だった。左手には赤川の上流をさかのぼった奥に、広大な山域がひろがっていた。そして川向うには、平地をはさんで母狩山、湯ノ沢岳、三方倉山、摩耶山とつづく山系があった。」

 「櫛引通野平村」を舞台にしたこの作品は、5つのストーリーから成る。村の「薬師神社」の別当に任ぜられた大鷲坊(だいしゅうぼう)という羽黒の山伏が主人公だ。腕っぷしがめっぽう強い。だが、やさしさにあふれ、機転の効いた活躍で村人の悩みやトラブル、事件を次々と解決していく。

 野平村は架空の村だが、その描写から推察すると、黒川能の里である、現在の櫛引町黒川の南部あたりか。赤川べりの集落である。工事中の東北横断自動車道酒田線が赤川をまたぎ、山すそを往時の「櫛引通り」に沿って西に伸びる。内陸と庄内を結ぶ国道112号月山道が、ゆっくりと庄内平野に入るところだ。

 作品の中で「赤川」は重要な位置づけにある。大鷲坊と、夫が死んで嫁ぎ先を出された「おとし」母子との出会いは、赤川に転落しそうになっているこの母子を、助けるところから始まる。

「『だれか…』
おとしは地面にぺたりと腹ばって、切りたった崖の下にいっぱいに腕をのばしたまま、首を回して野を見た。眼もくらむ真昼の光が野を灼いているばかりで、人影は見えなかった。」


 物語の冒頭の部分である。そして、大鷲坊が現れ、間一髪、2人を救う。

 この仕掛けは、最後の篇の「人攫い」で生きてくる。「赤川の上流をさかのぼった」朝日村の大鳥から、さらに山奥に入る「箕つくり」の集落まで、誘拐されたおとしの娘を取り戻すべく2人は追跡する。朝日山系の奥深く、そこに住む「山窩(さんか)」の村にたどりつき、無事、娘を救い出す。作品のクライマックスである。

 5篇はいずれも完結形式で展開するが、作品の主要登場人物は変わらない。基本的な筋は最後まで縦横に張りめぐらされているのだ。

 精神的ショックから、立つこともできない娘を歩けるようにする「験試し」、亭主の出稼ぎ中に間男した妻を救う「狐の足あと」、家に火を放たれて村を追われた若者が復讐のため帰郷するが、山火事の中から村の娘を助ける「火の家」、狐憑(きつねつ)きの娘を最後には嫁にする、怪力の若者を描いた「安蔵の嫁」、そして「人攫い」。それぞれの篇の主人公は村人であるが、いつの間にか大鷲坊がおり、おとしがいる。そして、一人一人が生き生きと描かれている。

 腹痛の持病がある「おすえ」は、病気治癒の祈祷料に「粟(あわ)三合」を差し出したきりの貧乏後家である。「醜女の部類にはいる容貌をしている」ために後添いの話はさっぱりこない。腹が痛いと仮病をつかっては大鷲坊を呼び出し、祈祷中、床の中にいきなり引っ張り込む。

 狭い村のこと、世間体もある大鷲坊は、おすえのために男の張り形を作ってやった。

「『あれのあんべぇはどげだの? がが』(中略)
『おかげさんで、とってもぐあいがええ』
『そうか』
『もっとも、本物だばもっとええども』」


 からからと笑って、子連れのおすえはそう答える。昼下がりの村の道端での会話である。あっけらかんとした中に、江戸後期の、農村の人々の逞(たくま)しくおおらかな生きざまが見える。

 作品の会話はすべて庄内弁である。恣意(しい)的なまでに方言で書かれている。そして、庄内弁の美しさと作品の世界が見事に溶け合っている。素朴さ、強さ、優しさが方言の力で醸し出され、藤沢さんの庄内弁に対する愛着がしのばれる。

 藤沢さんは、作品のあとがきで、「この小説は、鶴岡の戸川安章氏のご指導がなければ、書けなかった小説である」と記している。戸川さんは羽黒修験道の研究者である。

 また、作品は平成8年、劇団「わらび座」で舞台化され、全国を巡演中だ。幕開け公演は平成8年5月、鶴岡市で行われた。

 作品は昭和53年2月、家の光協会から刊行された。藤沢さん51歳。

藤沢周平と庄内 なつかしい風景を探して

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