藤沢周平と庄内

【唆す】 青龍寺、播磨

「海坂領で、空前の百姓一揆が起こったのは、七年前の安政六年である。
 その二年前からの不作で、藩の財政は窮乏の極に達していたが、藩政を預かる重臣たちは全く無能で、これといった対策もないままに、百姓から厳しく年貢を取り立てることだけに、腐心(ふしん)していた。」


 この作品も海坂藩ものの1つである。藤沢さんは作品について、「石油ショックで、砂糖がない、チリ紙がないと、一種のパニック状況を示した世相がヒントになった」と記しているが、時代設定が巧みである。つまり、この頃、モデルとなっている荘内藩でも、一揆とまではいかないまでも「青龍寺組の強訴(ごうそ)」「播磨京田村強訴」などが相次ぎ、領内農民の疲弊(ひへい)が記録に残されている(『鶴岡市史』)。

海坂藩の一揆がイメージされる鶴岡市の播磨地区周辺。冬の地吹雪は一面を白いベールで包む
海坂藩の一揆がイメージされる鶴岡市の播磨地区周辺。冬の地吹雪は一面を白いベールで包む
 物語は、海坂藩の百姓一揆を煽(あお)ったとして城下を追放された神谷武太夫が、今度は江戸で大規模な騒動を「唆(そそのか)す」話である。

「朝起きて顔を洗うと、武太夫は甲斐甲斐(かいがい)しく襷(たすき)をかけ、内職用の前垂れをしめて仕事にかかる。襷は内儀(ないぎ)の腰紐(こしひも)のお古であり、前掛けは内儀が厚い木綿の生地で縫った。」

 仕事は筆作りである。いまでは、浪人生活が板についている。しかし、夕刻になると武太夫は決まって街に出る。その時は両刀を腰にたばさんでいるのである。妻の竜乃は、武太夫が再仕官の道を探していると思っている。

 だが、武太夫はその期待を裏切った。内職に精を出し、すっかり裏店(うらだな)住まいに腰を落ち着けてしまったのである。

 一揆の扇動者(せんどうしゃ)となれば、諸藩に忌(い)み嫌われる。再仕官の道などないのである。そして、武太夫は「もともと武家暮らしを嫌っていたのではないか」という節がある。

 内職の仕事をくれる筆屋の「遠州屋」に押し込みが入った。

 用心棒を頼まれた武太夫は、蔵の中に山と積み上げられた米俵を目にする。遠州屋の若後家が武太夫を蔵の中に誘い込んだ時である。米の買い置きだった。「武太夫は、胸の中でむくりと顔を持ち上げるものの気配を聞いた」のである。それは、海坂藩の一揆騒動の際にも感じた、陰微(いんび)な喜びをもたらす「気配」でもあった。弱者への哀れみの心にも似ていた。

 「武太夫の心の中に、百姓たちの暴発を恐れる気持ちとは別に、押さえきれない喜びのようなものが動いたのはその頃からである。自分が播(ま)いた種子が、確実に育ち、枝葉をつけ、実って行く感覚が快かった。」

 武太夫は、7年前の海坂領内の村々の状況と、困窮している江戸の状況とを重ね合わせていた。流布(るふ)は小さな火種があればいい。一気に拡大する。裏店連中がたむろする赤提灯(あかちょうちん)に出向いた武太夫は、「気が小さく、多少真面目」な「苗売」の弥次郎に吹き込む。「品川宿で、騒ぎがあったのを知っているか」…。

「――大きな騒ぎになるだろう。これまで江戸で起こったことのないような、途方もない騒ぎがひろがるだろう。」

 江戸の六間堀沿いの道を歩きながら、武太夫はそう思っていた。そして、江戸で困窮した庶民が暴発し、町々の町家を襲って食い物を略奪したのは、それから間もなくしてからだった。暴動に加わったのはおよそ80万人。後にこの騒ぎは「お粥(かゆ)騒動」と呼ばれた。

 藤沢さんは、小説の主人公を海坂藩と江戸を往来させるのが得意である。『用心棒日月抄』の青江又八郎はその典型であろう。そして、この作品も、海坂藩と江戸が舞台である。荘内領と江戸の下町は、藤沢さんが愛してやまない原風景ではなかったのか。

 作品は昭和49年の「オール讀物」7月号に掲載された。藤沢さん47歳。

藤沢周平と庄内 なつかしい風景を探して

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