藤沢周平と庄内

【三屋清左衛門残日録】 日本海

 「破船の陰で、ひとしきり火を燃やして談笑していた男たちが去ったあとは、海辺は波の音だけになった。灰いろににごった海が、時折りとんでもない高い波をはこんで来ては、足もとの岩を叩いて行く。

 清左衛門は釣糸を垂れたまま、首をまわして磯を見まわした。」


 三屋清左衛門は、江戸で長く藩主の用人をしていた。藩主の死を機に国元に帰り、総領の又四郎に家督を譲って隠居した。「鳥刺しや釣り」、そして剣の修業、経書を読む日々を過ごしている。「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」。心に幾ばくかの寂寥感(せきりょうかん)がないと言えば嘘(うそ)である。里江はよく出来た嫁である。いろいろと気を遣ってくれる。

時折高い波が岩をはむ庄内浜。荘内藩は家中に釣りを奨励した。今もシーズンになると釣り人で賑う
時折高い波が岩をはむ庄内浜。荘内藩は家中に釣りを奨励した。今もシーズンになると釣り人で賑う
 その清左衛門はいま、「前髪の友」金井奥之助と城下の西に当たる磯に釣りに来ているのである。加茂、油戸、金沢あたりの海岸であろうか。鳥刺し、釣りは荘内藩が奨励したものである。

 道場に通っていたころ、三屋家は120石、金井家は150石であった。30年たって、三屋は270石と出世し、金井は25石と零落(れいらく)していた。藩の騒動で、どちらに加担したかで、2人のその後が大きく変わっていたのである。

 金井の目に、憎悪に近い不穏な光を見たのは、里江であった。釣りに誘われた清左衛門を引き止めようとしたのは、里江にそんな不安があったからだ。

 背後に気配を感じ、清左衛門は横に飛んで岩に腹ばった。たたらを踏んだ奥之助は、たまらず海に落ちていた。清左衛門を後ろから突き落とそうとしたのである。荒縄を海中に投げ込んで奥之助を助けたが、清左衛門の胸に「これで終わった」という虚しさがあった。そして、30年の心のひっかかりが取れた気もしたのである。

 作品は15の編から成る。隠居の清左衛門が、その気軽な立場で、藩主お手付きの娘に首尾よく祝言を挙げさせる「醜女」、滑稽ともいえる一方的な思い込みで切腹を図った家中武士の話「高札場」、そして前述した金井奥之助との一件「零落」、さらに昔日の淡い恋心を振り返る「白い顔」、嫁いだ娘を心配する「梅雨ぐもり」などが前編を彩っているが、「川の音」から、話は俄然(がぜん)、藩の世継ぎを巡る暗闘が筋となる。

 隠居したとはいえ、江戸の藩主の清左衛門に対する信頼は揺るぎない。折りにつけ、国元探索の協力を求めてくる。だから、清左衛門は再び起きた藩の騒動がよく見えるところにいつもいる。

 藩の内紛は、藩主の弟・石見守信弘が毒を盛られて殺害されるという事件で大きく進展する。家老朝田弓之助が家臣を遣(つか)わし、江戸住まいの石見守を薬殺したものだった。

 清左衛門や町奉行佐伯熊太らの活躍で朝田一派の陰謀が暴かれ、執政の大交代が行われたのは、秋がやや深まった9月のはじめごろだった。

 「今度は正面に、国境いの遠い山山が見えている。小樽川の水源をなす南方の山塊からわかれる国境いの連山は、東から北に、障壁のように空を斜めに区切っていた。そしてその奥に、いまごろの季節には雲に隠れてめったに姿を現わさない弥勒(みろく)岳の山頂が見えた。」

 城下の西を流れる小樽川は青龍寺川、「障壁」のような連山は月山、そして弥勒岳は鳥海山か。3合目あたりから下に紅葉の色をとどめる景色を見ながら清左衛門は、藩の行く末を案じている。

 隠居してわずかの間に多くの事があった。藩の執政交代は静かに行われたが、清左衛門の身辺にも変化があった。地吹雪に逢い、行き倒れ寸前の清左衛門を一夜、介抱した「涌井」のおかみ「みさ」が、最上川沿いの松山町をイメージさせる支藩の城下に帰ったのである。55歳の老境にわずかな悲哀があった。

 その「涌井」で、実に多くの庄内の料理が出てくる。「小鯛の塩焼き」「豆腐のあんかけ」「こごみの味噌和え」「筍の味噌汁」これには酒粕(さけかす)が入っている。さらに「ハタハタの湯上げ」「赤蕪(あかかぶ)の漬物」「クチボソの焼いたもの」「茗荷(みょうが)の梅酢漬け」。圧巻は「寒鱈(かんだら)汁」。

 そして、おかみの「みさ」はこんなこともいう。「ハタハタは、大黒さまのお年夜のころからとれる魚ですから」。鶴岡ではいまでも、大黒さまのお年夜にハタハタの田楽焼きをどこの家庭でも食べるのだ。作品は、「別冊文藝春秋」昭和60年夏季号から64年新春号まで掲載された。藤沢さん58歳から62歳。

藤沢周平と庄内 なつかしい風景を探して

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