藤沢周平と庄内

【秘太刀馬の骨】 千鳥橋(大泉橋)

 「通りすぎる樽屋町の家家の塀の内に、梅が咲きかけているのが見えたが、花びらがひらいているのはほんのわずかで、花はまだ多くは赤いつぼみのままだった。
 『寒いなあ、北国は』
 と石橋銀次郎が言った。」


 主人公・浅沼半十郎は家禄130石の近習(きんじゅう)頭取である。家老小出帯刀(たてわき)の命を受け、暗殺剣「秘太刀馬の骨」の探索に取り掛かっていた。江戸から来た小出家老の甥(おい)、石橋銀次郎とともに家中の御馬乗り役・矢野藤蔵の家に向かう途中である。暴れ狂う馬の首を一刀両断に斬る「馬の骨」は矢野家に伝わる秘太刀と言われていたからだ。

 矢野の家は「粗末な門を入ると前庭の一部と家の横手が畑になっている」のである。藩が奨励している菜畑であった。海坂藩のモデルといわれる荘内藩は、家中に釣りや鳥刺し、菜園を奨励した。いまでも、市街地で家の前庭が家庭菜園というのは珍しくない。

 そして、庭の梅の木は、中級武士が住んでいた鶴岡市の家中新町周辺ではどこの家にもある。春になると、一斉に花が咲き、ウグイスがさえずる。天満宮のある城下町ならではの風情である。

 物語は、密命を帯びた半十郎と銀次郎が、矢野家に伝わる「不伝流」の秘太刀「馬の骨」の継承者とその剣技を探すという形で展開する。

 木刀で藤蔵と立ち合った銀次郎は、小手を打たれながらも鋭い反撃で相手の胸を打っていた。藤蔵は継承者ではない、と思われた。

 江戸で道場の免許を受けた銀次郎が専ら立ち合い、半十郎がそれを見届けるという役割である。銀次郎は、藤蔵が名前を挙げた5人の高弟に次々と試合を申し込んでいく。

 そのやり方が汚い。1人目の沖山茂兵衛には、賄賂(わいろ)授受の嫌疑をちらつかせ、試合の場に引きずり出した。2人はほぼ相討ちだった。

 2人目の内藤半左衛門には、病死した総領の嫁との仲を世間に言いふらす、と半ば恫喝(どうかつ)して木刀を交えた。結果は惨憺(さんたん)たるものだった。年寄りの豪剣に銀次郎は「殺される」と思ったほどである。

 3人目の長坂権平とは、御前試合の無気力振りで減らされた家禄を戻し、それが元で実家に帰っている妻女を権平の元に返す説得をする、という約束で試合をした。銀次郎は拳(こぶし)の骨を砕かれていた。

 4人目の飯塚孫之丞には、遺恨(いこん)試合を謀(はか)って、親友井森敬之進と試合をさせた。竹刀で行われた試合は、双方血だらけの壮絶なものだった。

 5人目の北爪平九郎とは、兄嫁との醜聞をネタに脅しをかけ試合をしたが、一方的に叩きのめされた。

 そして、いずれもが「秘太刀馬の骨」を伝授されていなかったのである。

 「千鳥橋の手前で、半十郎たちは前を行く二人と距離をあけ、赤松と家老が左側の商人町の通りに曲るのをみてから跡を追った。
 五間川はちょうどそこでゆるやかに東に向きを変えているのだが、曲り切ったところに南から北にかかる千鳥橋の北袂(きたたもと)には、橋下の船着き場を照らす常夜燈がある。」


 鶴岡市の内川の流れは、大泉橋の手前から東に変わる。大泉橋はかつて「眼鏡橋(めがねばし)」と呼ばれた。いまでも、年輩の地元住民はそう呼んでいる。北側は山王町である。かつて橋の下には船着き場があった。

 「馬の骨」探しは、途中から家老小出帯刀の陰謀(いんぼう)を次々に暴いていくことになる。

 すなわち、「馬の骨」は、藩主お抱えの暗殺者が遣(つか)う必殺の剣であった。小出家老はそれを知っていた。江戸で藩主毒殺を図って失敗した小出家老は、その暗殺者を恐れ、半十郎と銀次郎に素性割り出しを命じたのだ。2人は事情を知り、一派を抜け出す。

 藩主の側用人が国元に帰り、陰謀の探索は急を告げていた。いま小出家老と用心棒の赤松織衛は五間川を渡って北に向かっている。商人町には小出の陰謀を知っている「証人」がいたのである。その抹殺を図ろうとしているのだ。

「三棟ならぶ権十長屋の奥から、黒い風のようなものが走り出て」きて、小出家老の脇をすり抜けた。白刃が閃き、瞬時、家老は絶命していた。「千鳥橋」の上で、黒衣の男と用心棒赤松との死闘が繰り広げられる。が、やがて勝負はついた。黒衣の男は「秘太刀馬の骨」を遣ったのである。姿からして、男は矢野藤蔵に間違いなかった。

 物語の最後、半十郎の妻女・杉江が無頼漢から幼児を救う秘太刀も暗示的である。つまり「馬の骨」の1つではないのか。病気の妻は、全篇にわたって半十郎を悩ませる。そして幼児を救った杉江はいう。「ずいぶん手間どりました。さあ、はやく帰って旦那さまのお夜食を支度せぬと…」。妻女の心の病は治ったのである。

 作品は「オール讀物」平成2年12月号から平成4年10月号まで掲載された。藤沢さん63歳から65歳。

藤沢周平と庄内 なつかしい風景を探して

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