藤沢周平と庄内

ペンネームと海坂の由来

 「北国の小藩」という設定の海坂(うなさか)藩。『蝉しぐれ』では、江戸より120里(480キロ)としている。時代小説、特に武家ものは『暗殺の年輪』以降ほとんどがこの海坂藩を舞台にしているといっていい。もちろん荘内藩をモデルにしている。城下や郊外の情景は鶴岡のそれ、である。

 「文四郎ははだしで、菜園の茄子(なす)に水をやっていた。茄子畑は菜園の隅のたった三畝(みうね)だけだが、まだ紫の花をつけ、つややかないろをした実がいっぱいになっている。」

 水を含んだ土の色、白い足、花の紫、みずみずしい小さく丸いナス…。『蝉しぐれ』の美しい一文である。下級武士の生活振りがうかがわれ、菜園を奨励した荘内藩の姿がほうふつとされる。『三屋清左衛門残日録』では釣り、『臍曲がり新左』では鳥刺し、など藩の奨励策が紹介され、江戸後期の地方の小藩の苦労がしのばれる。

 その「海坂藩」の、海坂というのはどこからきたのか。藤沢さんは鶴岡・湯田川中学校の教師をしていたが、勤めて間もなく肺結核が見つかった。現在の東京都東村山市にある「篠田病院林間荘」に入院する。そこで句会に所属し、静岡の俳誌「海坂」に投句する。

 「海坂は私が小説の中でよく使う架空の藩の名前である。だが実在の『海坂』は、静岡にある馬酔木系の俳誌で、種をあかせば、およそ三十年も前に、その俳誌に投句していたことがある私が、小説を書くにあたって『海坂』の名前を無断借用したのである。」(『小説の周辺』)

 と書いている。

「海坂」というのは「上代、海上にあると信じられていた海神の国と人の国との境界。海のはて」(『日本国語大辞典』小学館)である。海境、海界とも書く。さらに「水の江の 浦島の子が 堅魚(かつお)釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来(こ)ずて海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに」(万葉集)とあり、海坂はロマンに満ちた神秘的な楽園に至る境なのである。

 藤沢さんは、本名小菅留治(こすげとめじ)。旧黄金(こがね)村大字高坂(たかさか)字楯(たて)ノ下103番地に生まれた。6人兄弟の4番目で、3男3女の二男。青龍寺(しょうりゅうじ)尋常高等小学校から、昼は鶴岡印刷株式会社、その後役場で働きながら、夜は旧制鶴岡中学校の夜間部に通った。山形師範学校に入り、卒業と同時に湯田川中学校に赴任する。

 そこで、藤沢さんは三浦悦子さんと出会う。後に結婚することになるが、先生と生徒、そして同僚の先生の義理の妹という関係であった。「篠田病院林間荘」に入院している間、三浦悦子さんは見舞いに来ている。この頃に藤沢さんが三浦悦子さんに送ったとみられる熱烈なラブレターが、三浦さんの親類筋から見つかっている。

 結核が治って復職しようとしたが、6年の歳月が過ぎていた。結局、教職には戻れず、業界紙の編集に携わった。そのころ結婚する。藤沢さんにとって辛い時代であった。

 そして、三浦悦子さんは、28歳でガンで亡くなる。

 「胸の内にある人の世の不公平に対する憤怒、妻の命を救えなかった無念の気持ちは、どこかに吐き出さねばならないものだった。私は一番手近な懸賞小説に応募をはじめた。」(『半生の記・死と再生』)

 と文学の道に入るきっかけを語っている。小説家としての第一歩となるオール讀物新人賞を受けたのは、その頃書いた『溟い海』である。

「藤沢」というのは、湯田川温泉の山1つ隔てた地区の名前である。元は「梅ケ沢」の名であったが、永禄年間(1560年代)、神奈川県藤沢の時宗総本山から宗主「遊行(ゆぎょう)上人」が来て説法に務め、この地で亡くなった。以来住民は、上人が寂しがることのないように、と「藤沢」に地名を変えたという。佐藤政太著『湯田川温泉』に詳しい。

 そして、三浦悦子さんはこの地区の出身であった。亡き妻の古里の名をペンネームにしたのである。「周平」も、三浦さんの姉の子、つまり甥(おい)の名前から「周」の一字を借りたと言われる。

 藤沢さんの、古里に対する気持ちが凝縮されている一文を引用して第I部の最後にしよう。

「山形県西部。荘内平野と呼ばれる生まれた土地に行くたびに、私はいくぶん気はずかしい気持ちで、やはりここが一番いい、と思う。」(『ふるさとへ廻る六部の…』)

藤沢周平と庄内 なつかしい風景を探して

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