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やまがた観光復興元年

第3部・変貌する温泉地[10] 復活めざす蔵王

2014/4/7 12:33
県内最大の温泉地・蔵王。スキー客の減少を受け、四季を通じた魅力を発信し、誘客に取り組んでいる=山形市蔵王温泉

 夜の森に響く子どもの叫び声、仮面の男に女の子は泣きだした―。これは事件ではない。昨年8月に蔵王温泉(山形市)で行われた肝試しの一場面だ。旅館などに宿泊中の家族ら200人が参加。保護者は笑顔で見守り、ともに思い出をつくった。街灯のある場所が限られるという地域性を生かした企画で、2年目になる。スキーの国際大会など大規模行事の多い蔵王でのアットホームな催しだ。

 蔵王は本県最大の温泉地。源泉のほとんどが自噴で豊富な湯量に加え、神秘的な樹氷、スキー場と、観光資源に恵まれている。特にスキー場は昭和20年代から全国に先駆けたリフト整備が行われ、国内有数のエリアに成長した。山形市の統計によると、蔵王温泉の観光客のピークは1990年度の267万人。158万人に上ったスキー客がけん引した。

 その後ブームは去り、スキー客の割合が増えていたがために全体の落ち込みも大きかった。2011年度の観光客は90年度の半分以下の118万人。団体から個人への旅行形態のシフトに、東日本大震災に伴う原発事故の風評被害が追い打ちを掛けた。「時代に合わせた対応が遅れ、将来の客になる子どもや身近な県民へのアプローチも不足していた」。地元の旅館関係者は分析する。

 しかし、最盛期のころから地元には「いつまでも続かないのでは」との危機感があったという。92年4月、温泉協会と索道協会が連携して現在の蔵王温泉観光協会を設立。冬の「百日戦争」で1年分を稼ぐといわれた蔵王は、四季を通じて観光客を呼び込む地域へ変わろうと歩み始めた。特にここ数年は肝試し大会のように、新しい誘客事業が次々と仕掛けられている。

家族連れが集うドッコ沼周辺。避暑地としてのPRも効果を上げ始めた=2013年8月、山形市蔵王温泉

 蔵王温泉(山形市)の魅力はスキーだけではない。5月の連休が終われば桜と新緑の季節。6月からは高山植物が次々と咲き、9月までは夏山登山、その後は紅葉が楽しめる。蔵王温泉観光協会が中心となり、約20年前から四季の情報を発信してきた。ピーク時よりスキー客は半減したものの登山者は約2割増加。トレッキングブームが背景にあるが、蔵王山岳インストラクター協会などによる案内も呼び水になっている。

■切磋琢磨し改善

 かつて「恵まれた資源にあぐらをかいている」と言われることがあった接客や料理も見直された。温泉街を挙げて笑顔での接客キャンペーンを展開。従業員が黄色いバッジを付け、観光客の案内役を務めた。旅館や土産物店、飲食店が切磋琢磨(せっさたくま)した結果、大手旅行雑誌などの利用者アンケートで高評価の施設が増加。旅館関係者の一人は「昔はほかの温泉地にいくと料理がいいと感心したが、蔵王の方がよく見えることが多くなった」と胸を張る。

 若者も動きだした。同協会青年部副会長の斎藤龍太・松金屋アネックス専務(38)は、野外ロックフェスティバル・龍岩祭を06年夏に始めた。飲食店で働いていた仙台市から28歳で戻り、物足りなく見えた地元で「若者が楽しめることをしたい」と考えたからだ。

 音響の仕事をしていた山形市内の友人が出演者探しを、蔵王の若者はステージづくりや運営を担当。ロック、メタル、レゲエなど多彩なミュージシャンを集め、初回から35組、DJ40人が出演した。当初は24時間演奏だったため音への苦情も寄せられたが、斎藤副会長らが地元の声を聞き調整に回った。3日間で100組が出演、8千人が集うイベントに成長し、若者たちに「自分たちにもできることがある」との意識が芽生え、自主的に行動する場面が目立ち始めた。「人づくりの成果も大きかった」と斎藤副会長は言う。

■この機を生かす

 “オフシーズン”だった蔵王の夏は大きく変貌した。ほかにもロープウエーで夏の星空と夜景を楽しむ8月のナイトクルージング、足湯に入りながら聴くジャズライブ、夜の温泉街散策など多彩な楽しみがちりばめられた季節となった。

 今年はスキージャンプ女子ワールドカップや樹氷国体があったほか、6月と9月には山岳マラソン・トレイルランニング大会が開催される予定。県内全域で6~9月にデスティネーションキャンペーンが展開される。同協会長の斉藤長右衛門わかまつや社長(61)が力を込めた。「県外も大事だが、県民に愛される観光地になることが必要。この機を生かすには地域が一丸となり、先人が築いてきたものを磨き上げ、前に進むことが大切だ」

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