最上川今昔第8部たたかう>>動画を見る
「滔々と 最上川今昔」第8部は「たたかう」。置賜地方まで舟運を可能にした五百川峡谷の舟道開削、「流域の風土病」と恐れられたツツガムシ病治療に取り組んだ医師など、人々の闘いに目を向けます。
(題字は書壇院参与の大瀧象堂氏)
5.米沢・松川 魚のすめる川に戻す
天元台スキー場近くにある鉱害防止施設で、地下還元前の水の酸性度をチェックする松川堰組合の嘱託職員=米沢市
スキー場近くにある鉱害防止施設。管理する松川堰組合の嘱託職員後藤弘さん(61)=米沢市、山下裕さん(60)=同=に現場を案内してもらった。酸性水の原因となる硫黄のくず・鉱さいの堆積(たいせき)場跡はアスファルトで覆われ、だだっ広い平地になっている。酸性水を中性に戻す地下還元施設も見た。還元前の水の酸性度は今も高い。県の昨年度の調査では水素イオン指数(pH)=中性は7付近、値が小さいほど酸性度が高い=は8月が2.9、10月が2.6と依然強酸性の値を示している。 松川の支流・明道沢沿いの西吾妻硫黄鉱山で本格的な硫黄採掘がスタートしたのは1937(昭和12)年。戦時中で需要は高く、坑道は縦横に掘られた。活況の一方、松川には強酸性の水が流れ、生活水やかんがい用水に被害が広がった。鉱山に近い二男さんの集落は「どん底の辛酸をなめた」。鉱毒水に田の土壌が破壊された。農家でさえ家族で食べる分を確保するのがやっとだった。 硫黄採掘はいわば国策。どこにも訴えようがない中、住民は「鉱毒と闘い、松川がきれいだったころの生活を取り戻そう」と自力で対策を考えた。試行錯誤の末、汚染されていない沢水を探して新たな水路をつくり、松川に代わるかんがい用水にした。松川と交差する部分には混ざらないように水路橋も架けた。この水が今も使われている。 行政の対応はその後。51年、当時の農林省所管の工事で除毒施設が完成した。しかし、鉱山は堆積場に大量の鉱さいを残して閉山。67年の羽越水害で鉱さいが流出し、除毒施設は機能停止状態に陥った。71年、県が事業主体となって再び鉱害防止工事が始まった。堆積場の鉱さいをアスファルトで覆ったほか、坑道を通って強酸性になった水を地下深くに浸透させて中性に近づけるため、深さ約100メートルの地下還元孔約80本をボーリングした。これが今の鉱害防止施設だ。現在も補修工事などが行われている。 施設完成前の76年から昨年までの約20年で、米沢市役所付近の松川のpHは5から7前後にまで改善している。だが、二男さんの集落付近のpHはまだ4台だ。水素イオン濃度が10分の1になってpHはやっと1だけ中性に近づく。松川の水質改善に関する研究に取り組む山形大大学院理工学研究科准教授の遠藤昌敏さん(46)=米沢市=は「1度広がった汚染を元に戻すのは大変」と話す。 遠藤さんの研究室では酸性水に空気を送ることで水質を改善できないか試している。鍵を握るのは酸性水に多く含まれ、毒性の原因となるアルミニウムイオン。空気を送ることでアルミニウムイオンが水酸化物に変化し、川底に沈む。そうすると水の毒性が消えて中性に近づく。さらにアルミニウムイオンが変化した水酸化物は川底に沈む際に汚れなどを吸着し、水質を浄化する作用があるという。「いろんな知恵を出し合って、工夫をして、松川の環境を良くしていくことはできると思う」。遠藤さんの言葉に力がこもった
(2008年08月06日 掲載)
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