やまがた農新時代

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やまがた農新時代

第3部・スタート(5) 被災地離れ3年

2014/5/23 09:48
自ら開墾したリンゴ畑で草刈りに精を出す浅野勇太さん=朝日町常盤

 3年前、福島県浪江町を離れ、知人の勧めで白鷹町に移り住んだ。仮住まいのつもりが、地域に溶けこんでいく家族を見て離れ難い土地であることに気付いた。「何か興さなくては」。地域に根付いた農業の道が自然と開けた。

■自ら重機操り

 朝日町常盤の果樹畑。リンゴの苗木を植えたなだらかな斜面を、草刈り機にまたがった浅野勇太さん(38)がゆっくりと進む。かつて耕作放棄地だった土地は、この1年で見違えるようになった。土木工事に従事した経験を生かし、自ら重機を操り整地。手掛ける畑はリンゴで1ヘクタール、桃で60アール。早い木は来年には実を付けるという。「来年が勝負の年」と意気込む一方で「農家として独立して1年。将来への不安、気負いは当然ある。だけど、過去に経験した気負いとは別物。どこかに余裕がある」と笑顔をのぞかせた。

 浅野さんは仙台市出身。妻の実家がある浪江町で、低料金が売りの理美容業を経営パートナーとともに起業した経験を持つ。店舗拡大を図る中で、経費を抑えるため内装工事の技術を習得。業界に先駆けたビジネスは成功し、福島県内にとどまらず仙台市にも出店、順調に業績を伸ばした。「当時は働き詰めの毎日。家族とまともに顔を合わせる機会もなかった」。そんな生活を一変させたのが2011年3月11日の東日本大震災、東京電力福島第1原発事故だった。

■地域に根付き

 白鷹町へは妻の両親とともに家族7人で移った。震災後は知り合いに請われ、宮城県内の被災地に泊まり込みで復旧工事に当たった。つかの間の休暇で白鷹町に戻ると、荒砥小に入学した長男が家に友達を呼んで楽しく遊んでいた。「生活の基盤がここにできている」と気付かされた。

 朝日町をドライブした際、目にしたリンゴに興味を抱いた。妻の実家が農家だったこともあり、将来は農業をやりたいとの思いがあった。「就農するのが予定より早かった」。山形の地に根付いた農業に自然と足が向いた。やまがた農業支援センター(山形市)に相談し、農業体験事業などに参加。12年5月、朝日町常盤で果樹栽培を営む阿部為吉さん(59)の下で研修生として学び始めた。

■存在の大きさ

 栽培の基本から教わった。情報が飛び交う現代にあって、貪欲に情報収集に励んだ。人気の観光果樹園にも足を運んだ。約1年間の研修を経て、昨年4月に独立。新規就農者にとってハードルといえる農地確保は、地元町議などを務め地域で顔が広い阿部さんが口添えしてくれた。浅野さんは「為吉さんとの出会いがなければ、これほどスムーズに就農できなかった」と研修先の存在の大きさを強調する。

 現在、青年就農給付金の「経営開始型」として年間150万円を受け取る。ほかに耕作放棄地を農地として再生利用する国の交付金を得たり、阿部さんの園地を手伝ったりしながら農家としての基盤づくりにいそしむ。移住して3年。「金の余裕はないが、家族と接する時間は有り余るほどある」。日焼けした顔が満足そうに話した。

(「やまがた農新時代」取材班)

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