2011年03月16日
照明が落とされた中、カウンター前で横になるキャンセル待ちの客ら=15日午後9時23分、東根市・山形空港
東日本大震災の発生に伴い、24時間態勢の業務に移行している東根市の山形空港。各県の防災ヘリなどが数多く離着陸し、夜間駐機場として利用されていることが理由だが、宮城、福島の両県などから避難し、入手困難な航空券のキャンセル待ちをする人たちにとって、夜の寒さをしのぐ貴重な場になっている。緊急的な対応とはいえ、「避難所」としての側面も持った山形空港の夜の表情を伝える。(東根支社・三沢秀樹)
15日午後8時34分、東京・羽田行きの臨時便が、この日の最終便として飛び立った。この時点で、空港ビル内に翌日の搭乗券のキャンセル待ちで残っていたのは50人ほど。1階カウンター前には、翌朝7時からの搭乗受け付け開始に向けて、すでに10人以上がシートなどを敷いて陣取っていた。普段は展示会などに利用されている2階多目的ホールが寝泊まり用に開放され、毛布が希望者1人当たり2枚ずつ貸し出された後、9時10分ごろに多くの照明が落とされた。
暖房が効いたビル内でキャンセル待ちの客らは毛布にくるまって眠ったり、携帯電話でメールを打ったり、2階ロビーでテレビを見たりと過ごし方はさまざま。空港を管理・運営する山形空港ビルの福島得二社長は「1日平均250人ほどだった乗降客数が、きょうは約2000人だった。空港の必要性、存在意義が、より多くの人に再認識されたのではないか」と言う。
通常の最終便の出発は午後6時35分で、空港の運用時間は午前8時~午後7時半。それが今は、県外から到着する消防防災ヘリの駐機スペース調整などのために、ビル内にある県空港管理事務所の職員たちが交代制で深夜も立ち動き、これまでは最終便の出発と同時に不在となっていた山形空港警備派出所も、24時間態勢に移行。山形空港ビルの社員も夜間の巡回を行い、客らの安全確保に努めている。
キャンセル待ちの先頭で座っていた男性に話し掛けた。仙台市宮城野区の会社員高橋大さん(45)。震災発生の11日は札幌市に出張中で、翌日に空路を使って福島まで移動。交通事情が悪化する中、タクシーで約11時間をかけて自宅に戻り、家族と再会したという。「幸い、家は残っていたが中はめちゃくちゃ。最後まで悩んだが、復旧が進まず、先が見えない中で仙台から一時避難することを決意した」。家族と共に大阪府守口市の妻の実家に向かう予定で、「仙台では水が使えないこと、車を動かせないことが大変だった」と話し、仕事関係のメールをパソコンで確認していた。
このまま、静かに夜が更けると思われていた10時28分、突然の揺れに襲われた。寝ていた人たちも跳ね起きて、テレビの前に集まり始めた。村山地方は震度3。立て続けに、静岡県で震度6強の地震が起こったことが速報された。「いつまで続くのか」「どこまで広がるのか」-。安堵(あんど)感を一瞬にして打ち破られた客らが画面を見る表情は、一様に硬かった。