2011年03月25日
大勢の命が消えた東日本大震災。津波と大規模火災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市のセレモニーホールでは、本県の冠婚葬祭互助会が連日供養の支援に当たった。「海水で冷たかったろうから」。温かいお湯で遺体を清める湯灌(ゆかん)をしてあげたいが、電気もガスも水道もなく、ままならない。それでも、最後の別れに臨む遺族の慰めになれば…。本県の「おくりびと」は被災者に寄り添い続けた。
被災を免れた気仙沼市岩月のアーバンメモリアルホール気仙沼。同じ互助会グループという縁で、酒田、鶴岡、新庄で葬祭場「玉泉院」などを運営する庄内互助センター(斎藤強社長)が14日夜、現地に向かった。「震災直後から全く連絡が取れなかったので、まずは行ってみようと。米や水、食料、棺おけを届けた」。新庄玉泉院の山科誠専務(45)は話す。
15日から本格的な支援活動を開始したが、ライフラインが寸断され、お湯を沸かせなかった。「湯灌をしてあげたかったが…。持参した水で泥だらけになった顔や体を拭き納棺した」と山科専務。遺族は憔悴(しょうすい)しきった様子で、無言のまま見守っていたという。
庄内互助センターは交代で現地に支援員を派遣。供養を希望する遺族が本県にも多く訪れるようになったため、24日いったんスタッフを引き上げた。鶴岡玉泉院の石井一帆さん(31)はこの日、小学校などの遺体安置所を回り、ドライアイスを当てる作業を続けた。電気もガスも水道も大半は復旧しておらず、宿泊先での生活は、ろうそくの明かりだけが頼りだったが「遺族のことを思うと頑張らなければと思った」。
山科専務によると、現地では十分な供養ができないため「湯灌だけでも」と、新庄市を訪れる遺族もいるという。「14歳の男の子は油にまみれていた。シャンプーをしてお風呂に入れ、タオルで丁寧に拭いてあげたが、拭いても拭いても取れなかった」
自らも被災した遺族にとって、悲しみに浸る間もなく無常の時は過ぎていく。死者・行方不明者が2万7000人を超える戦後最大の試練。山科専務は「今後は山形県内での受け入れがメーンとなるが、できる限り供養のお手伝いをしたい」と話していた。