2011年03月27日
被災地に生活物資を届けるアイビーのメンバー=宮城県東松島市
東日本大震災で被災し、孤立している地域を支援するため、山形市の認定NPO法人国際ボランティアセンター山形(IVY=アイビー)は、震災直後から毎日、生活物資を運び続けている。「行政の手が届かない“隙間”への支援が自分たちの役割」。被災者の声を丹念に拾い、奮闘する彼らの1日に密着した。(報道部・高橋澄恵)
「今日は東松島市の3カ所に荷物を下ろしてから、南三陸町を本格的に回る。それから石巻、牡鹿半島にも行こう」。午前8時半、山形市のアイビー事務所前で、宮城県の現地に向かう数人が行き先を確認し合う。20人近くのボランティアメンバーが慌ただしくトラックとバンに支援物資を積み込んだ。
最初に到着した東松島市。家々が流され、水浸しの大地が広がる。報じられる機会が少ないことが関係しているのか、震災から約1週間は、ここだけぽっかり穴が開いたように支援が届かなかったという。上着や長靴を運んだメンバーの1人、山形大4年の高橋愛実さん(24)は顔なじみになった避難所の住民の話に耳を傾けた。希望された品目は事務局に携帯電話で伝え、山形市に残ったスタッフが調達に奔走して翌日に備えている。
車はさらに北上、南三陸町の対策本部があるベイサイドアリーナに肌着類を届けた。町職員で物資調達班長を務める千葉啓さん(44)は「欲しいものは日々変わる。直接聞きに来て、タイムリーに搬入してくれるのでありがたい」。
住民と直接話すことで知ることはたくさんある。初めて訪れた避難所で、管理者が「避難所に呼んでも地元を離れず、200人ぐらいで集まっている集会所がある」と教えてくれた。案内を頼み、早速その場所に向かう。路肩が崩れ落ち、分断された道なき道を進んでたどり着いたのは、太平洋を間近に臨む馬場・中山地区。一面がれきの傾斜地の、急な坂の上に集会所が残っていた。
部屋の中には多くのお年寄りが身を寄せていた。高橋さんが「お母さん、何か欲しいものない?」と尋ねると、ぎりぎりの生活をしているはずのお年寄りが「おにぎりが届けられるし、水は井戸がある。間に合っている、というより間に合わせているよ」と笑う。「欲しいもの全部は無理だけど、言うだけ言ってみて。ズボンや靴下は?」と促すと「そうだ、靴下もズボンも欲しかった。和風のおかずが食べたい」。遠慮がちに話し出した。
この日バンに積んでいた靴下や菓子類を渡し、また明日来ることを約束する。お年寄りたちは「悪いなあー、ありがとう」「山形から来たの? せっかくだから、ご飯食べていけー」。明るい表情で何度もお礼を言った。
南三陸町を離れたのは午後7時。石巻市の避難所にも届ける物資があったが断念した。「待ってたかなあ」。連絡をしたくても電話は通じない。山形市に戻ったのは午後10時過ぎ。翌朝はまた8時半の集合だ。公設の避難所以外に被災者が身を寄せ合って、物資が行き届いていない場所はまだ多い。現地を丁寧に回って孤立地域を見つけ出す、きめ細かな支援を今日も繰り広げている。
◇認定NPO法人国際ボランティアセンター山形 通称IVY(アイビー)。1991年設立。カンボジアなどへの支援や在日外国人支援、ボランティア参加希望者からの相談対応などを行う。スタッフは外務省委嘱のNGO相談員も務める。海外や阪神大震災でのボランティア実績を生かそうと、事務局内に14日、「東北広域震災NGOセンター」を開設。同センターには国内外のボランティア団体が参加し、アイビーは調整役も担っている。