2011年03月29日
震災で住まいを失い、避難所で暮らしながら就職活動に励む佐藤聖一さん。本県企業へ就職を目指すが、生活資金の確保など、先の見えない苦労が続く=仙台市太白区の八木山中
「こんな時だからこそ働きたい」。東日本大震災で住まいを失い、資金が底を尽きかけながらも就職活動に奮闘する若者がいる。東京法律専門学校仙台校法律ビジネス学科1年の佐藤聖一さん(19)。身を寄せる避難所は今月末に閉鎖される見通しで、スーツもなければ食べ物も十分ではない。立ちはだかる壁はいくつもあるが、来春の就職を目指し、本県企業を会社訪問するなど前を向き続けている。(報道部・伊藤英俊、色摩高幸、坂本由美子)
震災からまだ2週間もたたない23日。山形市内のある企業に、避難所でもらったウインドブレーカーに身を包み、採用責任者の話に耳を傾ける佐藤さんの姿があった。就活生とは思えない服装。でも熱意は誰にも負けなかった。
佐藤さんは福島県南相馬市に実家がある。同市から仙台市内の学校に通っていたが、11日、学校帰りに被災した。その夜、たどり着いた市内八木山中の避難所に身を寄せたが、ようやく連絡が取れた実家は半壊状態。さらに実家は福島第1原発から半径約30キロの位置にあり、母親と祖母、弟は18日から新潟県長岡市に集団避難することになった。
南相馬市に借りていたアパートに戻ろうかとも考えたが、震災から数日後、津波で大きな被害の出た同市の映像をテレビで見て、もうないだろうと確信した。部屋にあったノートパソコンも流されたのか、壊れた状態で見つかったと聞かされた。
不運は重なり、親の銀行口座から定期的に振り込まれるはずの生活費の送金も止まった。原発事故の影響で、口座のある南相馬市の銀行が営業していないためだ。通帳の残高は183円。手持ちの資金は2万円。避難所で暮らす親にも頼れず、いつまで持つか。新たな住まいを借りたくても、資金もなければ保証人も見つからない。7月に支払わなければならない新学期の授業料50万円のめどがこのまま立たなければ、退学するしかない。企業訪問や就職活動が本格化する季節だが、実家にもアパートにも行けず、必需品であるはずのスーツはない。交通費さえままならず、被災した就活生に猶予期間をくれる企業は少ないのが現実だ。
八方ふさがりのようだが、震災後、日がたつにつれ、自分の中に変化が生まれた。自らも被災しながら、復旧工事に汗を流す作業員たち、余震が続く不安の中で学生を支え続ける教師たち。「命懸けで仕事をしている人がいる。自分も命懸けで就職活動をしなければならない」。何もないけど、今できることを。頭に浮かんだのは、2月に同校で開催された合同企業説明会で「光って」見えた山形市のコンピューターシステム開発・販売会社エム・エス・アイだった。
パソコンの操作方法などを企業向けに教えるインストラクターの仕事は「人の役に立ちたい」という自分の夢をかなえられる仕事。採用担当者の話から、将来性があり、一緒に夢を描ける会社だと感じていた。ウインドブレーカー姿ではかえって悪い印象を与えてしまうか不安もあったが、16日、思い切って採用担当者に電話をした。「スーツがありませんが、会社訪問してもいいですか」。快諾してもらえた。
23日、仙台-山形間の高速バスを使い、友人と2人で訪問した。各職場を案内され、採用担当者から「企業として、個人として、できることがあったら協力したい」と温かい言葉を掛けてもらった。「助けてくれる人がいる」とうれしかった。「この会社で働きたい」という気持ちが一層強くなった。
震災で、いろんな人にお世話になった。早く恩返しがしたい。家族も支えたい。そのためには早く働いて生活基盤を固めなくては。自分と同じような境遇にある就活生も頑張っているだろう。毎日、避難所からバスで学校に通い、できるだけ多くの就職情報を読み込んでいる。本命の同社が主催する会社説明会は4月中旬に山形市内である。資金が持つか分からないが、何が何でも行くつもりだ。「その時はきっとスーツ姿で」。自分の課題にしている。