2011年04月16日
-政府の「復興構想会議」の委員となり、14日の初会合に臨んだ。
「会議では、原発問題を抱える福島の大地がよみがえり、そこに人々が戻ってきた時が復興の終わりだと発言した。福島では苦しみが続き、宮城や岩手では復興に向け『さあやるぞ』という空気が生まれている。極めてはっきり見えた、この落差や温度差が、とても気になったからだ」
-原発の問題を復興会議の議題とするかどうかを巡って議論があったと聞く。
「最終的に、津波被害からの復興と原発にかかわる復興と並行して取り組むことになったという認識だ。この問題を抜きにしたら、復興会議そのものが、原発によって苦しんでいる人々から見捨てられ、背を向けられる」
-原発事故をどう受け止めているのか。
「東京に電力を供給するための原発を、危険性を指摘されながらも、福島の人々が引き受けざるを得なかった。これまでも東北は、コメや兵隊などを東京に黙って差し出してきた。現代になってもその構造は全く変わっていなかったことが、今回の大震災でむき出しになった」
-東京の「負」を背負うのが東北の宿命なのか。
「今こそ、その構造を壊すチャンスを迎えている。これから東北は変わる。日本も変わる。思想、学問、文学、芸術、どれもが試される時代に入る。(提唱してきた)『東北学』のなすべき仕事が、今本当の意味であると思う」
-「東北学」は、埋もれた東北の歴史や文化に光を当ててきた。今後なすべき仕事とは。
「東北の人々は、自然の懐深くに入って暮らしてきた。身の丈に合った生活の知恵や技があった。これから東北から新しい世界観を発信していく時に、もう1度東北の風土の中で培われた暮らしぶりを掘り起こしていかなければならない。原子力という、人知を超えたものに未来を委ね続けるのかどうかを考える時にも必要だ」
-これまでも各地を歩き「聞き書き」を続けてきた。
「東北人自らが、大震災の記憶をとどめていくことが大きなテーマになってくる。東北の編集者やライター、新聞記者のネットワークが生まれるといい。津波の被害に遭った町や村を元通りに再建するのはおそらく難しいだろう。小さな記憶をたくさん集積することは犠牲者への鎮魂になる。同時にこれから東北がどんな方向に変わっていくかを考える時にも大切になる」
-復興のビジョンをどう描いているか。
「今までの東北は、県ごとにそれぞれが東京を向いていた。今回の地震ではおそらく東北人みんなが人ごとではいられないはず。連携できる時だ。1県だけでは国家に抵抗しきれないけれど、東北が結び付いて主張すれば、新しい価値観を提案する力を持つ。山形はほぼ無傷で残った。新しい東北の縁をつくり、さまざまな活動を山形からやっていけると思う」
▽あかさか・のりおさん 民俗学者、福島県立博物館長、学習院大教授。1953年東京生まれ。東京大卒。「東北学」を提唱し、山形市の東北芸術工科大大学院長、同大東北文化研究センター所長などを務めた。著書に「岡本太郎の見た日本」(芸術選奨文部科学大臣賞、ドゥマゴ文学賞)、「増補版 遠野/物語考」など多数。