2011年04月15日
-3月11日の地震発生時はどこに。
「盛岡市内にいた。岩手県庁12階で、翌日に始まる予定の『佐高信文化塾』についての記者会見中だった。仙台市では6年前に『政治塾』をつくり、山形市でも去年5月に『山形塾』を立ち上げた。東北は明治以降、『白河以北一山百文』と言われ、政治的に冷遇され続けてきたが、それをひっくり返すには、文化で勝つしかない、文化においては薩長なんかに負けるものではない、と強調していたときにちょうど揺れた」
-大震災後の状況をどう受け止めているか。
「福島第1原発の事故を考えると、まさに冷遇され、過疎になり、地域は原発を呼ばなければならなかったという構図を思う。しかも、その原発の電気を東北では使っていないのだから」
-東北の被害は甚大だ。余震を含めて停電も相次いだ。
「地震の後、盛岡の姉の家に3泊し、停電の暗闇の中で考えた。暗闇は人間の思考を鍛える。ニーチェは『昼の光に夜の闇の深さが分かるものか』と言った。ある意味、東北は闇に押し込められてきた。しかし、だからこそ深く、したたかな思想と文明が育まれた。山形の土門拳や藤沢周平、岩手の宮沢賢治を思えば分かる。南の国では考えられないような潮風を浴びた思想や、吹雪にまみれた思想だ。青白い光ではなく、たいまつのような思想とも言える。東北は、もう一回、立ち上がる力もエネルギーも知恵も持っている。しかも、連帯感がある」
-復興には政治の役割が重要になる。
「菅直人首相とは20代のころからの付き合いだが、やっぱり駄目だ。政治主導は結構だが官僚をどう動かすか、東京電力という民間企業をどう動かすかという知恵がない」
-大連立の議論もある。
「政治の枠組みをどうするかは1つの問題だが、政治なんて常に変わる。どうなるか分からない。言えることは、例えば加藤紘一(自民党元幹事長)と小沢一郎(民主党元代表)がある種、歴史的な握手をして復興への具体的なプランを立て、それを政府にのませるようなことが必要だと思う。復興には土地勘がいる。過去の知恵と、その集積も必要だ。だから大連立というより、東北連立ということで、加藤(元幹事長)と小沢(元代表)が会え、と言いたい」
-山形県民はいかに行動すべきと考えるか。
「多くの被災者が関東にも避難している。東北の人は口下手で、口が重く、歓迎されても喜びを表せない人もいる。東京の人と思いにずれが出てくることもある。東北の人同士は、しゃべらなくても分かるようなところがある。だから、相身互いのようにして、被災者をできるだけ山形に受け入れてあげたい。何も言わなくても分かるよ、そういう思いで支えたらどうだろう」
▽さたか・まことさん 評論家。1945年酒田市生まれ。慶応大法学部卒。高校教師、経済誌編集者を経て評論家に。辛口の経済、政治批評を続ける。著書に「逆命利君」「藤沢周平と山本周五郎」など。「週刊金曜日」発行人を務め、東北公益文科大(酒田市)客員教授も引き受ける。