2012年03月07日
高橋保広さん(左)らの支援に「本当に感謝しています」と語る大友よし江さん=仙台市若林区の仮設住宅談話室
この1年間、苦難の連続だった。しかし、「世界中の人々から支援してもらった。『あこがれの百姓』とも出会えた。本当に感謝したい」。仙台市若林区の仮設住宅で暮らす農業大友よし江さん(62)は笑顔を見せる。「あこがれの百姓」とは新庄市十日町の農業高橋保広さん(65)。東日本大震災が、高橋さんと大友さんを結び付けた。
■久しぶりの土
大友さんにとって、高橋さんは有機栽培に熱心に取り組む「目標の存在」だった。昨年6月、高橋さんが代表を務める農家団体「ネットワーク農縁」などが企画したツアーに参加。本県を訪れ、温泉に入ったり、高橋さんが提供した水田で田植えするなどして、傷ついた心と体を癒やした。
「農家なので、久しぶりに土に触れ、すごく楽しかった」。この時に植えたコメは「まけるまい!」としてデビュー。震災を風化させないため、売上金は被災者が津波体験や現状を伝える活動に役立てられる。
昨年3月11日午後2時46分。大友さんは自宅前の畑で農作業をしていた。突然衝撃が体を襲い、立つこともままならない。しゃがみ込んだその時、目の前を閃光(せんこう)が走った。「電線が切れて落ちてきたの」。大友さんは恐怖の一日を振り返る。
携帯ラジオから声が聞こえてきた。「津波が来ます。高い所に避難してください」「最高で10メートル」-。アナウンサーが繰り返す。「えっと思って海側に目をやると、松林の倍以上の高さで黒い波が覆いかぶさるように迫ってくるのが見えた」
自宅は海岸から約2キロ。車で逃げよう。車庫に向かったが、強震で落ちた屋根が障害になり移動できない。近所の人の車に乗せてもらい、ようやく避難所の中学校にたどり着いた。
別の場所で農作業していた夫・昇さん(64)とは離れ離れになった。再会できたのは3日後。「体が不自由な近所の女性を助け出そうとして津波に流されたと後で聞きました。途中、福祉施設の職員に助け出され、九死に一生を得た」
■まだ戻れない
自宅は津波にのみ込まれたが、ボランティアがヘドロを取り除き、消毒もしてくれた。アメリカの人たちからは壁や床を無償で直してもらった。ただ、自宅が立つのは仙台平野。近くに高い場所は全くない。「ライフラインは完全には復旧していないし、もう一度あの波が来たらと思うと不安で…。まだ戻る気持ちになれない」
震災から1年。苦難の道のりを一歩一歩踏み締めてきた。苦労を挙げればきりがない。しかし、「これだけ皆さんに温かくしていただき文句を言ったら罰が当たる。みんなで輪になって丸くなればきっと乗り越えられる」と大友さん。「震災がなければ山形の人たちにも出会えなかった。もし自分が生きている間に、同じような災害が起きたら、いち早く支援に駆けつけたい」
(仙台支社・松田直樹)